#093 ホームレス、障がい者、高齢者の人たちへの支援活動を推進する(1)
森川すいめい(精神科医)
聞き手/中野羊彦・上野周雄
現代日本では、少子高齢化が進展し社会のゆとりがなくなる中で、ホームレス、障がい者、高齢者の人たちへの支援が重要な課題になっている。そのような中で、森川すいめいさんは、これらの人たちの悩みに寄り添い、ひとりひとりが自分の人生の主人公になれるような支援を推進している。そして、これらの活動に、ドラッカーの考えを活用して着実に成果をあげている。本レポートでは、そんな森川すいめいさんの活動を紹介する。
森川氏の活動内容
ドラッカーは、NPOの活動を重視し、『非営利組織の経営』も書いている。ここでは、その実践例として、森川すいめい氏の活動を紹介したい。
森川氏の活動は多彩である。ホームレスの支援活動を行う「NPO法人TENOHASI」を設立して活動しているほか、高齢者診療「みどりの杜クリニック」の院長、心療内科・精神科診療「ゆうりんクリニック」の医師、「精神科訪問看護ステーション「KAZOC」の助言などを行っている。さらに、「TENOHASI」、「ゆうりんクリニック」、「KAZOC」、「世界の医療団」、「べてぶくろ」などが連携した「ハウジングファースト東京プロジェクト」(ホームレスの人たちに家を提供する活動)の推進にも加わっている。
生い立ちと活動への思い
森川氏は、当初ホームレスの支援から始めた。阪神大震災がきっかけだった。ホームレスの中には、様々な人がいる。会社が突然倒産し、働く場所も見つからず精神的に追い詰められ、うつ病を発症した人。ホームレス生活となって行き倒れになり、救急で病院に運ばれても、病院からは迷惑そうな顔をされ、まともな診察が受けられず数日後に亡くなった人。脳梗塞で身体の不自由な夫を抱え、娘夫婦と同居、娘婿から金の無心をされ、貯金が底をつくと暴力を受け、ホームレスになった老夫婦。派遣社員として住み込みで働いていたが、バブル崩壊後の景気悪化で派遣切りに合い、突然に住む場所を奪われ、年老いた母を連れて路上生活に落ちていった人・・・。森川氏は、そのようなホームレスの人たちに、毎週、話しかけて、これらの人が何とか助かる方法を考えた。
森川氏は、1973年、池袋に生まれた。子供の頃は、いじめや不登校、引きこもりに近い経験をした。強くなりたいと思い、自分探しの旅に出た。ヨーロッパ、アジア、アフリカなど、世界40か国以上を旅した。その中で、生きる人々の様々な実態に触れた。強くあらねばならないという気負いが消えた。世界を変えるよりも、先ず自分が変わらなければならないと思った。
当初、鍼灸師の大学に行ったが、ホームレスの人たちの支援活動をしているうちに、様々な人の声を聴いた。自分に何ができるだろうと考え、医者になることを決意、医学の大学に進学する。研修医の時代に、患者を薬漬けにし症状を悪くする医者を見た。森川氏は、患者が自分の担当になると、薬や治療方法を改善し、患者の症状を改善させた。そのような中で、次第に患者そのものの苦痛を改善する緩和医療をやりたいと思うようになった。しかし、緩和医療の道を追及すると、ホームレスの人たちのそばに行けない。
ホームレスの人たちの中に、アルコールがやめられないと涙した男性がいた。アルコールの課題を抱える人がホームレス者に多いということは知っていた。しかし、やめたいのだと涙する人がいるとは思いもよらなかった。自分の進むべき道を考える葛藤の末に、最終的に、森川氏は精神科医になると決めた。「こころは、病気にならない。そして難しいのはこころだ。」