#051 奇跡のチームをつくる(その1)
西みつえ(化粧品メーカー勤務 スタッフマネジャー)
化粧品会社で教育を担当して、20年近くになります。
いろいろなところに転勤させていただき、いろいろな人たちと一緒にお仕事をさせていただきました。
その中で、たくさんの奇跡のチームを見てきました。
失敗の連続
初めてリーダーになったのは、20代後半でした。
教育担当者になって1年半、ある日突然自分の上司が転勤してしまい、何の心構えもない中で、気づいたら責任者になってしまったという経緯でした。
経験も実績もなく、周りはみんな年上の人たちばかりの中、何をやったらいいのかわからず、不安と焦りで、がむしゃらに仕事をする毎日でした。
どうしたらわかってくれるんだろう、もっとがんばったらついてきてくれるのか?何が正しいのか、正しくないのか、わからない中で、ひたすら自分をすり減らすような日々、がんばればがんばるほど、誰もついてきてくれないことに気づいて、絶望を覚えたものでした。
「弱音を吐いてもいい安心できる場」
その後、出産を経験し、復帰して別の部署に異動になり、あるプロジェクトを任されました。
さまざまなエリアに渡り、たくさんの方に影響することになり、組織として動くことを求められた時のことです。
プロジェクトメンバーは同じ立場の人たちで、それぞれの悩みもそれぞれのやりたいことも共感を持って共有することが出来ました。
くじけそうになった時、腹が立った時に、それを抑えるのではなく、弱音を吐いたり、愚痴を言ったり、不満を言ったり、それらを全部受けとめてくれる、「弱音を吐いてもいい安心できる場」が出来たのです。
そのプロジェクトは、初めてのことにチャレンジするため、わからないことがたくさんあって、たくさんの方に相談し、一から全部つくりあげていくのは、本当に大変でしたし、前例のないことを提案していくのは、とても難しいことでした。
「何を成果とするのか」を問う日々
壁にあたるたびに、「これは、誰のためにやっていることなのか」「誰を幸せにするためにやっていることなのか」何度も何度も原点を思いだし、「どうやったら出来るのか」「何を成果とするのか」を問う日々でした。
そのため、嫌でも「何のために、誰のために、どんな価値を、どんな成果を」ということを何度も何度も確認することが出来たことが、チームとしてすごく強みだったと思います(その頃、ドラッカーを読んでいたらこんなに悩まなかったのではないかと思いました)。
目的が共有されていたので、状況に合わせて、それぞれが自分事で動くようになって、阿吽の呼吸で進んでいくことが出来るようになった時のことです。
ある日、無茶ぶりなオーダーが来たのです。
それを決断したら、今までやってきたことが否定されることになる、と悩みました。
「この段階でこのチームにこんなことを言えない、あと3日しかないのに、どうしろというのか、ここで変更するのか?」と、暗い顔をしていた時です。
「どうしたのか?」と聞かれ、自分で決断が出来ない事や言いにくい事であるが相談させてほしいと重たく口にしました。
すると、みんなが意外なくらいに明るい声で、「わかった」とうなずいてくれたのです。
「奇跡のチーム」はつくれる、と実感
「西さんは、私たちに無理をさせたくないと思って言っているんでしょ。だけど、これをやることはすごくいいことだよね。だったらこうしたらどう?」と提案してくれたのです。
驚いた私に「大丈夫。なんとかしよう」とどんどんと進めてくれて、実現可能になりました。
目的のためにどうしたらいいのかを自分事で考え行動出来る、全員がリーダーになっていることを実感した瞬間でした。
そして、プロジェクトの最後に、たくさんの人たちを率いて合宿をする日が訪れました。
はじまる前のあの空気感は忘れられません。
それぞれが信頼に満ちて、温かい空気の中、受講者を迎えようとする素晴らしい雰囲気
「絶対にいい合宿になりますよ! すごく楽しみです」
ここにいることが誇りだというメンバーの笑顔と、終わった後、感動で泣いてしまったことも素晴らしい経験でした。
「奇跡のチーム」はつくれる、と実感した瞬間でした。