#037 マネジメント受容の二段階

岩崎夏海(作家、出版社社長)

 

ぼくの知る限り、ドラッカーの『マネジメント』を受容するには二つの段階がある。
それは、マネジメントを行う「前」と、実際に行った「後」とだ。

マネジメントを行う前は、ドラッカーの『マネジメント』を読んで、純粋に感動する。なるほど、こういう考え方、やり方があったのかと感嘆し、興味を引かれる。あるいは、自分も実践してみようとモチベートされる。

ところが、いざマネジメントを始めてみると、その難しさが分かってくる。「あれ、上手くいかない」と焦る。「こんなはずではなかった」と落ち込む。そして、「自分は本当にドラッカーを理解できているのか?」と、再び本に戻る。すると、そこで気づかされることがあるのだ。

ドラッカーの本を「再読」して気づかされること—それは、「ドラッカーは全てを言っていない」ということである。いや、言うにしても、それを巧妙に隠している。初見では気づかないよう、カモフラージュしてあるのだ。

エッセンシャル版『マネジメント』の130ページに、このような記述がある。
「事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手を取って助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める」

最初にこれを読んだとき、不思議な気がした。
「なぜ、わざわざこんなことを書いているのだろう?」
それでも、しばらく考えていると、やがて一つの解釈に辿り着く。
「きっと、そういう『人間的な弱さ』がある人でも、ちゃんとマネジメントはできるよ、ということを教えてくれているのだろう。人を助けるとか、人づきあいがいいとかより、もっと大切なことがあるよと教えてくれているんだ。とっつきにくく気難しく、わがままな人でも、マネージャーとして成果を上げられると、事例を示し、勇気づけてくれているんだ」

だから、ここに書かれていた性質とは逆の、人を助け、人づきあいがよく、取っつきやすく、気がよく、他者を気遣うという美点を持った人も、それを保持したまま、あるいはそれを活かしながら、マネジメントをしようとする。

ところが、これが上手くいかない。人を助け、人づきあいがよく、取っつきやすいと、マネジメントがちゃんと果たされない。気がよく、相手を気遣っていると、なかなか成果が上げられない。

そこで、試しに助けるのをやめてみる。人づきあいをやめる。取っつきにくくする。いつも気難しくなり、わがままになる。

すると驚いたことに、マネジメントが機能するようになるのである。昨日まであんなに苦労していた「成果を上げる」ということが、いとも簡単に為されるようになるのだ。

そこで、初めて気づくことがある。ドラッカーは、これらの性質を単に事例として取り上げていただけでも、あるいは悪影響にならないと読者を勇気づけたわけでもなく、むしろこれらを推奨していたのだ。「そういうふうにしろ」と、暗に示唆していたのである!

確かに、よく読んでみると「必ず一人は」とか「誰よりも」といった、強い賞賛の言葉がわざわざ添えられている。ということは、むしろはっきりと「そういうマネージャーがトップなのだ」と断言している! それが理想なのだ。そこを目指せと、ドラッカーは言っているのである。

これが、ドラッカー『マネジメント』受容の第二段階である。マネジメントを実践した後だと、そのことに気づかされる。

ぼくも、実際にマネジメントを行ってみて(今は会社の経営をしている)、それに気づいた。人を助け、人づきあいがよく、取っつきやすく、気がよくて、他者を気遣っていると、マネジメントが果たされない。その逆に、一般的には「悪」とされている、人を助けない、人づきあいが悪い、取っつきにくい、気難しい、わがままといった状態になると、上手くマネジメントできるのである。

しかしこれは、誰にでも受け入れられるものではないだろう。多くの人が抵抗を示すはずだ。

ドラッカーも、そのことは分かっていた。だから、あえてはっきり書かなかったのだ。はっきり書いてしまうと、多くの人にアレルギーを持たれ、「マネジメントを伝える」というドラッカー自身の使命が果たされなくなるからだ。

その意味で、ドラッカーは人が悪い。卑怯とさえいえる。たとえ自分の使命を果たすためとはいえ、知っていることをあえて隠しているのだから。いや、伝えてはいるけれども、わざと伝わりにくく書いている。それは、ある意味わがままとさえいえる。

しかし、そこまで考えて、はっと気づかされる。ドラッカーは、自らが書いたことをちゃんと実践しているではないか! つまり、人が悪く、わがままになることで、「マネジメントを世界に伝える」という成果を上げているのである!

ドラッカーは、自らの文章で範を示した。そうなると、我々としても受け入れざるをえなくなる。

しかしそれでも、この「マネジメント受容の第二段階」は、なかなか果たすことができない。それゆえ、これをどう受容していくかということが、今後我々の—いや社会全体にとっての大きな課題となるだろう。

我々は、どう人を助けず、人づきあいを悪くし、取っつきにくくなり、気難しく、わがままになるか—ということが今、問われているのだ。

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