#022 懐かしさの理由
福本喬(コンサルタント、実践するマネジメント読書会ファシリテーター)
ドラッカー教授の著書・文章との出会いは、師である佐藤等先生が開かれた、読書会のプレセミナーに参加したことにある。
初めて出会ったドラッカー教授の文章の1つ1つに、納得をしつつも厳しさとも優しさとも取れるものを感じたことを今でも覚えている。
このとき、もう1つの感覚を得ていた。それは懐かしさである。
実はこれ以前に、私は「ドラッカー」に出会っていた。残念ながら、ご本人ではない。彼は、私が初めて就職をした個別指導塾でアルバイト講師として働いていた。20代後半とは思えないくらい落ち着いた、私より1つ年上の青年だった。誰よりも人気のある講師だった。
塾の近くにある学校は、素行が良くないことで有名で、塾生もお世辞にも優秀とはいえなかった。
そんな中、彼が受け持つ生徒たちは、自ら進んで宿題をやるようになっていった。わからない問題を自ら塾に持ってきて、彼以外の講師にも質問するようになっていく。学期末には、決して優秀ではなかった凡人たちが、非凡といえる成績と新しい塾生を連れて塾に訪れた。
もちろん、授業の内容は抜群にわかりやすかった。だが、彼の人気はそれだけではなく、一貫性のある言動にもあったと私は感じていた。
もともと彼は教師を目指していた。日本の有名大学に通っていたが、突如アメリカの大学を受験し、単身渡米。英語圏で生活しないと英語を教えることはできないと思ったらしい。卒業後、帰国。生活指導などの無駄を廃棄し、学業に集中できるから塾で働きだしたと言っていた。
そんな彼の仕事ぶりを、私はいつの間にか目で追いかけ、気が付けば真似をするようになっていた。
あるとき、とある生徒が彼に進路の相談をしていた。どこの高校に行けばいいかわからないという内容だった。「ドラッカー」は笑いながら言った。
「では、行きたくない高校はどんな学校? やりたいことを明確にするのも重要だけど、やらないこと・やりたくないことを明確にすることも同じくらい重要なんだよ」
劣後順位の概念だ。この生徒は時間をかけ「俺は周りに流されやすいから、やる気のない生徒が多い学校には行きたくない」という答えを出した。 「やりたいことは高校で探す、だから今は勉強に集中する」と言ったこの生徒は、今思えば知識労働者の第一歩を踏み出していたのかもしれない。
「ドラッカー」とは、いろいろな話をした。よく叱られた。勇気付けられた。後押しをしてくれた。人生の方向付けをしてくれた。私の人生を豊かにしてくれた。
塾生が増えるたびに「やっぱり仕事の真の報酬は次の仕事だね!」とうれしそうに言っていた。やがて、この言葉は、まだドラッカー教授を知らないはずの私の口癖になった。
そんな充実していた日々もお互いが塾を退職することになり、終わりを告げた。徐々に連絡も取らなくなり、いつしか取れなくもなった。もの悲しい気持ちもあったが、「ドラッカー」がくれた言葉は、私の中で生き続けていた。
数年後、読書会のプレセミナーに参加したときに、私は彼の正体を知った。ドラッカー教授の文章という形で、彼は再び私の前に現れた。「ドラッカー」との止まっていた時間は、ドラッカー教授によって、また動き出したのだ。
そして、昔と変わらず、私が悩んでいると、厳しさとも優しさともつかない言葉をくれた。人生が再び色付き、豊かになっていった。
今、私はドラッカー教授の原理原則を伝える立場として活動を行っている。
「ほかの人間をマネジメントできるなどということは証明されていない」と教授はいうが、少なくとも影響を与えることはできると「ドラッカー」は教えてくれた。そのためには、自らが教授の言葉を体現する言動の一貫性を持たなければいけないということも。
「ドラッカー」が私に影響を及ぼしたように、「私は誰かの人生を豊かにするお手伝いができているだろうか?」と自らに問い掛け続けながら、今日もドラッカー教授の言葉を使う修練をし、日々を過ごしている。