#057 『傍観者の時代』の時代(1) 

井坂康志(本サイト運営者)

 

怪物ヘンシュと子羊シェイファーの物語

「ナチスがヨーロッパを掌握できたのは、ナチスを支持する人が多かったからではない。ナチスに『断固反対』と言明するだけの勇気を持つ人が少なかったからだ」。

アウシュヴィッツを訪れた数年前、現地をガイドしてくれた方が何気なく口にした一文が今も耳を離れない。

20世紀は私にとって一つの単純な物語と地続きである。それは虚無と血にまみれた闘争の物語であったが、ただ一つ共通していたのは言葉を主戦場とした点だった。そして悪いことにその物語は今なお浄化されることなく現在に持ち越されている。

怪物ヘンシュと子羊シェイファーの物語は、彼が戦後のニューヨークでふと目にした新聞記事から始まる。第二次大戦末期、フランクフルトの地下壕で自決したある青年の記事だった。それは胸の奥をしとどに濡らす救いのない悪夢、やむ気配のない寂しい長雨に似ていたかもしれない。

異様な切実さ

それよりも、何を書きたくて私はこの冒頭を綴ったのか。きちんと考えずにきてしまった。うかつながら、ワープロを叩く指先に導かれるように書いてしまった気がするが、消したい気持ちを我慢してもう少しだけ続けよう。

そう、私はこの章を読むたびに、邪悪な魔女が住む不吉な森に迷い込んでしまったような暗鬱な気持ちになる。だが、同時にこうも思う。ドラッカーはこの章を書きたくて『傍観者の時代』に着手したのではないか。

心にうずく消えることなき痛みを象徴するシーンを言葉にせずして死ぬことはできない。そう思わせるくらいの異様な切実さと迫力がこの章にはある。

少しだけ映画の話をさせてほしい。『戦場のピアニスト』はナチス統治下のワルシャワが舞台である。ピアニストのシュピールマンは、ワルシャワ・ゲットーから死の収容所トレブリンカ行きの鉄道移送を間一髪逃れ、市街集合住宅の一室に潜伏する。やがてワルシャワ蜂起が起こり、ドイツ軍との激しい爆撃の応酬となる。

戦車の砲撃を受け建物が崩壊するなか、シュピールマンはまたしても奇跡的にその場を逃れ、廃病院の一室に身を潜める。だがさらにナチスによる大規模な火器掃討に遭い、病院裏の高い塀を死力を搾って乗り越える。カメラはシュピールマンのはるか頭上に持ち上げられ、視野は一瞬のためらいもなくワルシャワの遠景に及ぶ。彼の背中は小さくなり、塀の向こう側にはてしなく広がる廃墟の街だけが映し出される。地獄のように灰色のワルシャワの街を――。

監督のポランスキーはまさにこのシーンが撮りたくて作品に着手したように感じられてならなかった。

『傍観者の時代』にあっては、まさしく「怪物ヘンシュと子羊シェイファー」に同じものを感じる。なぜかと聞かれても答えられない。ただそう感じるとしか言えない。

今も残るワルシャワ・ゲットーの壁(撮影/井坂康志)

知識と言葉が地に墜ちた時代

知識と言葉ほど20世紀において辱められ、損なわれたものはない。影との戦い――。あえて言えばそうなる。彼は影の発生と発展、そして一時消滅する様を見届けた。やがて暴風雨に成長するはずのつむじ風の発生を目撃するように。

つむじ風は、ふんだんにある餌を内部に取り込んで、やがてヨーロッパ全体に、やがては世界に憑依し、飽くことなき白蟻の貪欲をもって母体を根源的に損なっていく。餌とは言うまでもない。「大衆の絶望」である(『経済人の終わり』)。

彼が若い頃だから、大学時代から卒業後数年、年齢で言うと21から25の間くらいだろうか。2つの話が、絶妙に縦糸と横糸をなすように奥行きある妖しくも哀しい物語として織り上げられていく。

一つはフランクフルトで新聞記者と大学講師を兼任していた時代である。新聞と大学、ともに知識と言葉を守るべき機関に彼は身を置いていた。

言葉が魂の武器なのだとすれば、彼は自らの武器庫に何があるかを見定める必要に迫られていた。同時に、手にしていた武器を有効に鍛え上げるべき必要にも迫られていた。

時は、自由の精神が呪縛せられた年、すなわち1933年のドイツ、ナチスが政権を獲った年である。遅くともギムナジウム時代に彼はヒトラーの『我が闘争』を読んでおり、それが冗談でも隠喩でも寓話でもシンボルでもレトリックでもないことをなぜか知っていた。というか悟っていた。虚言のなかになぜ本音をかぎとることができたのか。わからない。私に聞かれても困る。ただ彼にはわかったのだとしか言いようがない。ごくかすかな振動のぶれも聞き逃さない一流の指揮者のように。

2つの夢魔――フランクフルト大学と新聞に何が起こったか

ナチスが政権をとったなら、彼らが行うことは一つしかない。『我が闘争』に書かれたプログラムを誠実かつ丁寧に、心を込めて粛々と実行する。それだけである。

もちろんドラッカーはドイツを去ることを決意する。ところが、最後の日に2つの夢魔が彼を襲う。どこかで執り行われた忌むべき黒魔術の悪霊がとうとう足下までしのびよってきたのを悟った瞬間だった。リベラルで勇名を馳せるフランクフルト大学拡大教授会にナチスのコミッサールが踏み込んだのだ。

彼を打ちのめしたのは、ナチス・コミッサールの下品さや蛮勇、卑劣さではなかった。そんなことは先刻承知であって、改めて驚く価値はない。学問の良心として尊敬を集めていた生化学者が、何ら有効な意見もなく、自らの研究費についての保身的な問いしか口にしなかった。そのとき彼は知識人の裏切りを見た。誤解の余地なくはっきりと。

もう一つは、新聞社の同僚にしてナチス党員ヘンシュが荷造りする彼のもとにやってきたことである。ヘンシュは、自らの生まれの貧しさを嘆き、能力の欠如にため息をつく。さりとてひとかどの者になる野望を捨て去れない。すべてが本音だった。彼はそこに野蛮な悪を見出したのではない。心の奥に巣くう果てしない虚無、何ものによっても癒しがたい精神の廃墟を見出したのだった。救済を求めてやまぬ病める魂にふれたからだった。

 

アウシュヴィッツにて(2013年)

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