#086 はみだし公務員の挑戦(1)

円城寺雄介(佐賀県庁勤務)

取材/中野羊彦・上野周雄

ドラッカーは、自分のミッションを自覚し、当事者意識を持って社会や組織に貢献すること、また、変化をチャンスと捉えて行動することの重要性を説いている。ここでは、その実践例として、円城寺雄介氏の活動を紹介したい。円城寺氏は、佐賀県庁の公務員として、組織の壁を越えて、救急車へのiPad配備やドクターヘリの導入など、救急医療体制の変革を成し遂げた人である。近年、公務員の体験記『県庁そろそろクビですか? 「はみ出し公務員」の挑戦』 (小学館新書)を書き、話題になった。今回は、そのような円城寺氏の活動を紹介する。

生い立ちと県庁での活動

円城寺氏は、1977年に佐賀県で生まれ、佐賀県で育った。10代前半のころは父親の本棚にあった『三国志』(吉川英治著)をきっかけに歴史にのめりこんだ。本当は歴史学者になりたかったのが、当時は後にロストジェネレーションと呼ばれる就職超氷河期で、歴史の道を進むことができず、結局何となく県庁に就職した。当時は、必ずしも志が高くて県庁に入ったというわけではなかったという。

最初の配属は土木事務所だった。ここは、本庁ではなく現地機関(出先機関)である。円城寺氏は最初に現地機関に行ったのは、ラッキーだったと言う。顧客(県民)と接する職場だったので、顧客への価値の提供を意識せざるを得ない所だった。また、ここにいて徹底した「現場主義」が身に付いた。たとえ机上の書類仕事だけで完結するとしても、物事を進めるときは現場を必ず自分の目で見てからでなければいけない。どのような場所であっても足を運び、住民と話をすることで思いがけない発見も多々あった。

さらに、ここで法律の成り立ちの重要性も学んだ。公務員が行う仕事の一つひとつには、根拠となる法律や規則が存在している。現場を見て、状況にそぐわないルールがあれば改革が必要ではあるが、そのためにはまず現行のルールとその成り立ちをよく理解していなければいけない。

その後、円城寺氏は、本庁の生産者支援課、職員研修所と異動をした。職員研修所では、本来の研修業務だけではなく、人事の仕事にも携わった。その時に県では、たまたま人事制度の改革を実施していたのだ。人事では、色々な経験ができた。職員に新しい人事制度を浸透させる仕事にも携わった。人をやる気にさせるのは難しいと思った。一定の成果は出せても、なかなか変わらない組織の体質に自らの力の至らなさを感じることもあった。

著書とともに。

人材マネジメント部会との出合い

そんな時に入ったのが、早稲田大学マニフェスト研究所の人材マネジメント部会である。人材マネジメント部会は、先進的な取り組みを続けている地方自治体を事例とし、管理型人事システムから経営型人事システムに移行することなどを目的に設立された研究会である。円城寺氏は、この時ドラッカーも学んだ。

人材マネジメント部会は一種の道場であった。当時、早稲田大学マニフェスト研究所の所長だった北川正恭氏などから鍛えられた。人事改革の仕事では、攻める仕事をしているつもりだった。しかし、それまでは思うように変革が進まないことがあっても、どこかで組織や体制のせいにして、本気で自分の問題として捉えていなかったことを思い知らされた。この人材マネジメント部会では、公務員にありがちな「落としどころ」を意識したきれいにまとめようとすることをほじくり返された。お前は何故やらないのか、自分が何をするか、「一人称」で徹底的に考えさせられた。

公務員は目先の業務をこなすだけでなく、本来あるべき姿を模索したり、地域に新しい価値を生み出したりする仕事をしなければならない。人材マネジメント部会に2年間通ううちに、たとえ一職員に法律や仕組みを変える権限がないとしても、やり方を工夫すれば課題解決の道が見つかるかもしれない、と思うようになった。無意識に「自分にできることはここまで」と線引きしていた殻を破ることができた。変革を自ら起こしていくことの大切さに気付き、就業時間後、部署を超えて自主的な勉強会を開くなどするようになった。

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