#079 なぜ、ふたたびドラッカーなのか?(4)

西條剛央(早稲田大学大学院(MBA)客員准教授)
井坂康志(本サイト運営者)

■私的強みは公益になる

-- 強みは公益というのがドラッカーの考えですね。「私的な強みは公益となる」というのがマネジメントの底流にあると思います。古典派経済学の「私的悪徳は公益になる」への強力な解毒剤としてドラッカーが展開した考え方です。

同じことを反対側から見れば、「私的な強みは公益となる」のなら、「私的な強みを私的に利用してしまうと、公益としての強みの効力が失われていく」ともとれるように感じます。あくまでも強みは公益に資する使い方をして、増幅されていく気がするのですが。

西條 日本にも三方よしとか、最近では八方よしという考え方がありますね。似た考え方のように感じます。ドラッカー本人の場合はどうだったのでしょうか。

-- ドラッカーは若い頃、ごく短い間ロンドンで、投資会社につとめていたそうです。そのとき、投資の才能があると自分でわかったそうなのです。投資で財をなすこともやれればやれたのでしょうが、結局お金に興味がない自分に気づいて、会社を辞めてしまうのですね。そのほかに、ロンドン時代には、ケンブリッジ大学の名物教授ケインズの講義にももぐって聴講したそうです。やはりケインズの話がお金と財の話ばかりで、人や社会の話がまったく話されなかったことにがっかりしたとも書いています。西條先生の言われたように、関心や価値観についても大切なことを教えてくれる逸話だと思います。

アメリカにわたってからは、コンサルタントとしても世界的に名声を博するようになるわけですが、一方で、彼は秘書さえも置かない個人事務所で仕事をしていました。しばらく前にも伺ったのですが、ドラッカーの自宅は本当に質素で、知らないで行くとうっかり家の前を通りすぎてしまうくらい、特徴のない平屋なのです。

あれだけ著名だったわけですから、「ドラッカー・インベストメント」のような会社を創設すれば、世界的な富も名声も手に入れられたはずです。しかし、そのようなことは一切行わなかった。関心がなかったからです。ドラッカーが何を成し遂げたかも興味深いテーマですが、ドラッカーが何をあえてしなかったかもまた、彼の実像に迫る上で探求に値するテーマかもしれません。

同時に、強みを私物化しなかったことが、結果的に彼の強みを最大化することになったのではないかと思うのです。

■ソーシャルへの関心は論理的帰結として起こる

西條 原理的に考えると、今言われたように、人は関心に応じて価値を見出し行動するわけですね。おっしゃる通り、ドラッカーは自分はお金に関心がないとわかったのだと思います。そして、自分の関心に応じて、もっと大きなレベルでの公益に資するという生き方を選んだのでしょう。

私の回りにもそういう方はたくさんおられます。皆さん立派な方々です。しかし、そのような振る舞いを倫理や道徳に還元するのは、私にはしっくり来ないのです。どうも倫理や道徳の問題ではない気がするのです。というのは、人生のなかで、減る一方で増えることのない資源というのは、時間なんですね。生まれてから増えることがない。お金なら、もしかしたら何十倍何百倍に増やすことができるかもしれません。けれども、時間は増えないのです。130歳まで人はいませんからね。せいぜいできるのは死ぬ瞬間をできるだけ遅らせることぐらいだけで。これは例外がないという意味では原理と言っていいと思います。

有限の時間をどう使うか。そのことを考えたとき、自らの命の意味を最大化させるのに、強みを私的にだけ利用するのは、必ずしも得策ではないはずなんです。いつかは死んでしまうわけですから。いくらお金を貯めても持って逝けるわけでもないですし、欲望には切りがないですし、いつまでも自分自分と自我を肥大させていっても、幸せにはなれないと思うんです。

それなら、自分が大切な人を幸せにすることに使ったり、次の世代の育成に尽力したり、本当に役立つものを世界に残したり、外の世界に関心が広がっていったほうが、時間という有限のリソースは圧倒的に生きてくるはずです。家族に向いてもいいし、社会全体に向いてもいいと思います。自分も大事にしながら、関心が外に向かっていって、そこに自分のエネルギーを投資していった方が有意義なことに使えるという意味で圧倒的に得だと思うんです。ですから、社会に対する意識の高さというのは、自己資産の最大化こそが価値であるという呪縛から自由にさえなれば、論理的に辿り着く考えなのだと思っています。

特に近年は、お金よりも時間のほうが貴重であるという当たり前の事実に気づいている人が多くなっているように感じます。世の中全体で、関心が変わっていく場合も、関心は契機があって変わっていくわけです。たとえばリーマン・ショックを目にして、経済にすべてを預けているのは逆にリスクが高いと感じるようになったり、大震災があって家族と一緒にいられることは当たり前ではないのだと気づいたりです。そんなふうに共通契機によって社会全体の関心がシフトしていく。これが時代が変わるということの意味ですね。

資本主義の洗礼による稼げば稼ぐほどいいという思い込みが、そのような共通契機の広がりによって外れつつあるのかもしれない。そうなれば、さらに自然とよりよい社会への関心が広がっていくと思います。

■第二の人生をどうするか

-- 私は幸運にも最晩年のドラッカーから直接話を聞かせてもらうことができたのですが、彼は技術の話をする中で、ITというものに期待していると言っているのですね。とくに、教育という人間の意識を転換する装置が変わっていくことに大いなる可能性を感じると述べていました。先ほど強みを生かす契機の話をされましたが、ITというのは現在人間の意識のインターフェースとして劇的な意味をもちつつあるように見えます。

おそらく個というものがどう生きるか、強みをどこに生かすかという問題とも関わりをもつように思えます。ドラッカーが晩年につきあっていた企業家にボブ・ビュフォードという人がいます。この方は『ドラッカーと私』(NTT出版)の著者なのですが、彼が40歳過ぎのときにドラッカーに出会い、人生観が仕事一辺倒から社会に向けて目線が広がっていくようすが克明に書かれているのです。ビュフォードはテキサス州でやり手のケーブルテレビ会社の経営者で、ビジネスは大成功していたのですね。

それがドラッカーの個人コンサルを受ける機会に恵まれて、後半の人生を自分のミッションであるキリスト教の伝道に大胆にギアチェンジするわけです。もともとケーブルテレビ会社の経営者ですから、通信メディアを上手に使って、広域のエリアを遠隔でつないで信仰の共同体を創造してしまうのですね。メガチャーチと言いますが、今もアメリカではメガチャーチは隆盛していると聞きます。こんなふうに第二の人生を成功させるという話です。

ビュフォードの話のポイントは、第二の人生を考えはじめたのが42歳からだったということにあります。ちょうどアメフトの試合― テキサス州の人で、アメフト好きでない人はいないそうです― を観ていたとき、前半が終わってハーフタイムにはいり、「ちょうど自分は今、人生のハーフタイムにいる」という考えが天啓のように頭を直撃したというのです。そこで彼は後半人生のゲームプランを腰を据えて考える数年間を「ハーフタイム」と名づけ、そのタイトルで本も数冊出しています。西條先生も40を過ぎて、これからどういった活動に取り組まれていきたいとお考えか少しお聞かせいただければと思います。

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