#091 “Oh Peter, Oh Kazuo” 今も聞こえるあの懐かしい声(3)

野田一夫
インタビュアー/藤島秀記

「ピーター/カズオ」

藤島 再び話を『現代の経営』に戻しましょう。確かに1950年当時、野田先生が翻訳を持ち込まれた時に断ったことは、後になって入社して先輩に聞きました。そこでダイヤモンド社はペーパーバックの翻訳権をとって、現代経営研究会訳の『現代の経営』を遅ればせながら出すことになるのです。

野田 「あのタイトルだから売れたんだ」と僕はピーターに伝えた。「ジャパニーズ・エディションのタイトルがよかった」といったら、彼も笑いながら「俺もそう思う」といってくれた。『現代の経営』は爆発的に売れて、どこかの団体がドラッカーを呼んで箱根でセミナーをやろうということになった。4,5回はやったと思う。彼は毎年来日していた。初めて東京のホテルで会ったとき、「俺はコンサルタントだ。大企業の経営者がクライアントだ」といっていたよ。当時の日本ではコンサルタントという言葉そのものがあまり普及していなかった。普及した後でも、コンサルタントというとやや世俗的な感じがあり、労働だとかマーケティングだとか、どちらかというと中間管理職向けが多かった。ピーターはいつも微笑みが絶えない、極めて面白い男でした。

藤島 ドラッカーとお互いがファーストネームで呼び合っていた日本人は2人しかいないと思っているのです。一人は「ピーター/カズオ」の野田先生、もう一人は「ピーター/アキオ」の盛田昭夫(当時のソニー社長)さんだと思います。

野田 盛田さんもドラッカーと近しかったよね。僕は出会った初めからピーターと呼んでいた。

藤島 だいぶ経ってから私がドラッカーに会ったとき「カズオは元気か?」と聞かれたけど、最初は誰のことかピンとこなかった。

社会生態学

野田 ドラッカー学会の人たちは、ドラッカーの本をたくさん読んでいるはずです。私はドラッカーの本を読んだのは自分で訳した何冊かだけです。その後は本を頂くけど全部は読んでいない。ドラッカーはよくジョークをいっていましたが、彼のジョークでいちばん印象に残っているのは「カズオ、エコノミストっていうのは、日本でもアメリカもそうだが経済学者か社会科学でいちばん幅を利かせている。そしてエコノミストと自分とで意見が一致することが一つある。それは何だと思う?」と聞く。それでニヤッと嬉しそうに笑って「それはピーター・ドラッカーがエコノミストではないということだ」っていうんだ。初めはよくわからなかったけど、彼は「私はコンサルタントだ。しかも一流企業のトップを相手に長い間コンサルタントをしてきたのは自分だけだ」といっていた。そうなんですよ。彼は一流大企業の多くの会長や社長から意見を求められるんです。そのためには法律、会計、経済、社会や人間心理も知っていないといけない。学者でなくとも、ものごとの本質を知らないといけない。

自然科学にエコロジーという概念があるでしょう。そこには生物も環境問題も全部入っている。彼は「私はソーシャル・エコロジストだ」といっていた。日本語にすると「社会生態学」ですね。彼の半分冗談みたいな言葉の中にとても印象的な本当の意味を発見するんだ。学問的にはソーシャル・エコロジーなんていう分野はないだろうが、ソーシャル・エコロジストでなければ大企業のトップ・コンサルタントは務まらないと、彼は信念として思っていた。そんなことを言っていたのは、彼が亡くなる10年くらい前だと記憶している。自分以外にこの道を行く人はいないと彼は信じていたと思う。彼は国際法律学の博士だけど経済のことも文学、数学や統計学もよく学んでいた。奥さんのドリスは物理学者だけど、彼は理系のことはドリスによく聞いていたよ。

そういう意味ではドラッカーという人は個性的だったよね。それから難しい話をしない。本は難しく書いているけど、彼とは冗談とも本気ともわからないような面白い思い出が多いよ。あと印象に残っているのは、僕の後輩が「ドラッカー理論とは何か」という本を書いて僕にくれたんだ。しかし僕は彼に言いました。「僕にくれてもだめだよ、ドラッカーにあげなさい」と。すると後輩は「ドラッカーに会ったことがない」というので、彼が来日した折に紹介することになった。そしてドラッカーが来て会ったとき、ドラッカーは僕の耳元で小さな声で囁いた。「カズオ、僕に理論があると思う」と。そこで僕は「ないと思うよ」といって2人で大笑いしたことがある。

ドラッカーの書いた本は一貫してなくっていいんです。「この時代にはこれが最大の問題で、私はこう思っている」ということでいい。例えば、大企業の経営者がドラッカーにいろいろと相談しているときに、ドラッカーは経済、法律、国際関係などすべてに対応しないといけない。必ずと言っていいほど相談した経営者は感銘を受ける。

彼は亡くなる数十年間は、ほとんど「Non-Profit Organi- zationにもマネジメントが必要だ」ということをいっていた。ある非営利団体がドラッカーにコンサルティングを依頼したときに、普通ならNon-Profit Organization相手だから「お金はいいですよ」と言いそうなものですが、ドラッカーは大企業と同じ額を請求していました。そして貰った後に、お金をすべてその団体に寄付していたんです。偉いよね。

藤島 それがドラッカーさんなんですね。実際にドラッカーさんのお住まいはそれほど大きな家ではなくて、メイドも置かずに夫婦二人きりで静かな生活をされていました。私がはじめてドラッカーさんのお宅を訪問したとき、タクシーで行ったんですが、想像以上に小さいお宅なので探しまわってしまいましたよ。

「新しい時代はすでに始まっている」

野田 残念ながら妻のドリスさんも亡くなっちゃったね。ドラッカーが生きている間は、会えば冗談ばかり言い合って、お互い楽しんだものです。僕も日本人の中では変わっているほうなのかも知れない。ドラッカー学会には真面目な人がいて、書いたものを必ず僕に送ってくれるんです。内容のほとんどは、過去にドラッカーが発言したものの中から理論を組み立てた、いうところの理論書が多い。しかしドラッカーはそういう理論の組み立てを喜ばない。約半世紀前に書いたものと現在のものとの間に一貫性がなくて当然だよ。真面目にドラッカーの著書を全部読んで「ドラッカーの理論は…」などと言い出すから、話はおかしくなる。ドラッカーはその時代、時代の本質的なことを鋭く指摘しているんです。だから彼の視点は常に「新しい時代はすでに始まっている」だった。

日本の学者や研究者の欠点は、そのような現実の世界の変化を考えていないことです。ドラッカーの著書を全部読んだと言ったって、それだけの話だ。だからこのドラッカー学会は願わくは、ドラッカーの本を読んだ結果、それを自分に、社会にどう生かすかを考える会にして欲しい。ドラッカー学会はもっとドラッカーが期待したような存在になってもらいたい。

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