#083 地域社会の活性化に貢献するイーグルバス(1)

谷島賢(イーグルバス株式会社・イーグルトラベル株式会社・イメディカ株式会社・株式会社イデア総合研究所の代表取締役社長)

聞き手/中野羊彦、上野周雄

ドラッカーは、企業の目的を「顧客の創造」ととらえ、「企業は、顧客や社会のニーズの解決に貢献するために存在する」と唱えた。今回は、ドラッカー経営を実践している企業としてイーグルバスを紹介する。イーグルバスは、埼玉県川越市を拠点とした、地域密着型のバス会社である。今回は、そのイーグルバスの谷島賢社長にお話を伺った。

イーグルバスは、5つの経営理念を持っている。「創客」「革新」「社会貢献」「顧客第一」「信用」である。いずれも、ドラッカーの考え方に沿った理念である。ここでは、谷島社長の話を再構成して、5つの経営理念に沿った形で、イーグルバスの活動を紹介する。

「創客」と「革新」--事業活動の原点

イーグルバスの5つの経営理念のうち、第一に出てくるのが「創客」である。ドラッカーは、「企業の目的は顧客の創造である」と言った。イーグルバスの経営理念「創客」は、ドラッカーの言う「顧客の創造」と同じである。イーグルバスの歴史は、まさに「顧客の創造」の歴史と言っても良い。

谷島社長は、1978年に東急観光に就職したが、1980年に父親とともにイーグルバスを設立した。「大学を出て東急観光(当時)に勤務していた私は、父から『バス事業をやるから帰ってこい』と言われ、家業に就きました」と谷島社長は入社のきっかけを語っている。イーグルバスは、当初から観光バス事業をやりたかった。しかし、当時は観光バスの免許はなかなかとれなかった。そこで、許可制の送迎バスから事業を始めた。バス3台で特別支援学校のスクールバス事業を始め、医療・福祉施設の送迎の福祉バスや企業の送迎バスなどで、10年の実績を積んだ。そして、1989年に観光バスの免許を取得した。

観光バス事業は、当初は、業績も順調であったが、1991年頃からバブル経済の崩壊が始まり、受注量が急減した。当時の流行語は「安・近・短」。ゴージャスな旅行は下火となり、なるべくお金をかけずに近場で短時間楽しむという風潮が支配的になってきたのである。顧客の変化により、従来の観光バスの仕事がなくなった。新たな顧客を作らなければならない。まさに「創客」が必要である。

この時に必要なのが、イーグルバスの第二の経営理念である「革新」である。ドラッカーは、事業の基本は「変化をチャンスに変えることだ」と言った。「新たに顧客を創造する」ためには、顧客動向の変化を捉え、これをチャンスに活かす「革新」がなければならない。

蔵の立ち並ぶ旧市街

川越市を見渡すと、百貨店がある商店街は賑わっていた反面、蔵の立ち並ぶ旧市街は、“シャッター街”化が進行していた。しかし、一方で電線の地中化などの整備が進み、蔵の街は、現在の東京ではなくしたような「小江戸」的な、古いが魅力的な面影を残していた。こうした状況を見て、谷島社長は、1991年に、蔵の街を巡る、団体貸切制の小江戸観光バスツアーを始めた。顧客の旅行ニーズは、お金をかけずに近場で短時間楽しむ「安・近・短」に変化している。これに合わせて、1日で小江戸の雰囲気を手軽に楽しめる川越観光バスツァーを始めたのである。

中型のデラックスなバスを使い、10人から15人という少人数の貸し切りで実施する。出迎え、お送りをする、観光の専門の人が案内する、食事を選べる、昼食をはさんで川越の観光地を一通り回れるようにする。CMも流す。これらの工夫が受けて顧客が集まった。まさに変化をチャンスに変える「革新」で「創客」を行った。

この成功をベースに、今度は、個人客向けの路線バス「小江戸巡回バス」を企画した。また、1995年からは、川越市旧市街にある名所を巡るレトロな観光路線バスを運行し始めた。これらの取り組みは、それまでは一つの地方都市だった川越市を、美しい旧市街を持つ観光地として知名度向上させるのに大きく貢献した。

「蔵の街に四角いバスは“無粋”だと思い、1997年には、昭和を髣髴させるボンネットバスを導入した。そうしたら、蔵の街とマッチして絵になるということで、メディアに大々的に取り上げられ、“あのバスに乗りたい”というお客様が殺到し、観光地として俄かに活気づいたのです」と谷島社長。

このレトロバスが人気なのは外観がめずらしいからだけではない。路線バスにもかかわらず、運転手による観光ガイドも実施している。運賃は一回分180円、乗り放題の一日乗車券500円である。路線バスとして通勤や通学の足としても利用されているが、同時に観光客の吸引にもなっている。このブームは、現在に至るまで発展的に持続し、「小江戸・川越」の名は、全国に轟くまでになった。今や、「小江戸」の名で親しまれ、メディアにも頻繁に取り上げられて、街は観光客で賑わっている。イーグルバスは、こうした「創客」と「革新」により、経営危機を乗り越えた。

社会貢献

イーグルバスの第三の経営理念は「社会貢献」である。ここに谷島社長の想いが現れている。

谷島社長は、経営を本格的に学びたいと思い、2003年から05年にかけて、英国ウェールズ大学大学院に学びMBAを取得した。そこで、もろもろの経営書を読んだ。その過程で出会ったのが、ドラッカーである。MBAの科目は刺激的ではあるが、金融工学など、なんでも金に換算する。キャッシュフローが目的になっている。すべての価値をキャッシュフローの現在価値に換算している。谷島社長は、そのような考え方に違和感を持った。それでは、バス経営などは割にあわないことになってしまう。実際には、バス事業は何十万の人の生活を支えている。MBAの考えは自分の考えと相容れないと思った。その時に、谷島社長の心に響いたのが、ドラッカーの著作である。ドラッカーは、「企業は社会的な存在だ」と言い、そして「事業を通じて社会に貢献せよ」とも言っている。そんなドラッカーの本を読んで心が癒され、また自分の経営の方針に安心感を覚えた。

社会との関係で行けば、コンプライアンスが重要である。谷島社長は、コンプライアンスを考え、当時観光バス部門の売り上げの半分を占めていたバスツァーからの撤退を決断した。2000年の規制緩和以降、ツァーバス業界は激烈な過当競争が起きていた。ダンピングが常態化し、そのしわ寄せは乗務員の長時間勤務という形で現れるようになった。労働基準法違反が構造的に起きていた。谷島社長はこれを見て、「これは危ない、運転士の犠牲はまずい」と思った。コンプライアンスが確立してこそ、企業の成長が図れると考えた。

そこで、当時大手旅行会社から注文を受けていたツァーバス事業からの撤退を決断した。これは厳しい決断だった。売り上げが落ちるだけではなく、営業部長が辞め、運転士の多くが他社に引き抜かれた。ドラッカーは、「事業の定義に合わなくなったものを体系的に廃棄せよ」と言っている。谷島社長は、戦略的に、競争が厳しくなったツァーバス事業から、より公共性の高い他のバス事業への転換を図った。2003年に、路線バスができる一般乗合旅客自動車運送許可を取得し、川越と羽田空港を結ぶ路線を運行する高速バス事業に参入した。

赤字路線の引き受け

イーグルバスに対して、更なる社会貢献を求める事態が2006年に訪れた。川越市の隣、日高市では、大手バス会社が2005年に路線バスを撤退することが決まり、困った自治体がイーグルバスに運行を依頼してきたのだ。高齢化や地方の過疎化と共に、路線バスの不採算路線からの撤退が続く時代がやってきた。路線バスの事業者数は約2,200社あるが、そのうち赤字の事業者は7割、地方に限って言うと9割近くが赤字である。埼玉県でも、高齢化・過疎化が進行する地域では、赤字が深刻化し大手バス会社が撤退し始めていた。

赤字路線の引き受けについて谷島社長は悩んだ。路線バスは赤字とはいえ、地元の高齢者たちにとってはなくてはならない生活の足である。しかも、イーグルバスのメーンの車庫は日高市に近い。この地が、交通空白地帯になるのを何とか止めたい。しかし、一方で引き受ける事業は、大手バス会社が、厳しい状況になって撤退せざるを得なくなった赤字事業である。しかもイーグルバスは、このような生活路線バスを運営した経験がない。半年間悩んだが、最終的に、バス事業者としての公共性、社会的貢献を考え、引き受けることにした。「今までも、様々な工夫をしてバス事業を発展させてきた。赤字事業を何とか立て直して、地元の人の生活の足を維持したい」と思った。これは、第三の経営理念である「社会貢献」を体現することになる。イーグルバスが引き継いだのは、埼玉県南西部の日高市と飯能市を結ぶおよそ35kmの路線であった。

 

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