#038 おんな経営記

真田千奈美(山城屋 株式会社真田 専務取締役)

 

江戸時代初期より香川にて米問屋を営んできた真田家は、1904年に東本願寺より「山城屋」の屋号を賜り、煮干し問屋を開業した。初代真田サダが漁師たちをもてなすことで大量の集荷を可能にし、昭和初期には最隆盛を極めた。しかし、第二次世界大戦による家屋消失・農地解放・預金封鎖、なかでも後継者の死去は大打撃となり没落した。戦後に小さな乾物問屋として再スタートしたサダの希望は、孫の和夫に商才のある女性を妻に迎えることであった。

1953年、サダが最後の仕事として見定めた嫁の悦子は、家業を切り盛りしながら1958年四国で初めてのスーパーマーケットと出会い、出産後2か月という猛スピードで大阪進出を果たした。周囲の反対を押し切っての船出であったが、1980年代には年商30億円にまでに成長した。しかし、このころより問屋間競争が激化、それまでに培ってきた乾物の知識を活用し、1985年に乾物メーカーとなることを大英断した。「せっかく作るのだから美味しい物を」というコンセプトのもと、主婦ならではの感覚で「京いりごま」「京きな粉」などのヒット商品を生み出し、年商36億円までになり、2004年には創業100年を記念して京都市東山区に店舗を開店した。

香川県の手袋メーカーに生まれ、祖母の選んだ見合い結婚で嫁いできた私は、3人の子育てをしながら順調に発展する山城屋を支えてきたが、2006年に初めて売り上げを落とした。外部要因・内部要因ともに変化が起きていた環境下、主婦の延長で経営してきたことへの反省から、2008年に立命館経営大学院(MBA)に入学する。そこでドラッカーの「何によって憶えられたいか」に出会い、「革新と共に身の丈の幸福感を追い続けながら創業100年の山城屋を、永続する1000年企業に育てる。その礎を創った者として憶えられたい」を決意し、改革に着手した。

2009年に大阪から京都への全社移転を決断、商品数を300から200に削減・社内IT化・ISO9001を取得した。さらに「御社の事業は何ですか」との問いに、「乾物を通じて日本の食文化を守る」と考えた。2014年には6次産業化により京都府与謝野町に農業法人との協業で乾燥野菜工場を竣工し、こだわり新商品を開発した。これからも日本中の生産者と共に安心安全をお届けできる乾物を創り続ける。

2016年には長男の英明が社長となり、会社のIT化を中心とした合理化に着手し、さらには与謝野町乾燥野菜工場の拡大を計画中である。今後の私は趣味である書道・華道・能に挑戦しつつ、生産者の育成(生産者の応援)・乾物文化の継承(乾物料理教室・乾物勉強会)・後継者の教育(孫の教育)に向けて取り組んでいく覚悟である。

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