#048 [対談]学びの達人ドラッカー(その4)

読み書きそろばんとともに

 

五島 体育教師と言われたら不思議な感じですが、武道と言われると確かにですね。ということは東洋・西洋と分けられがちですが、意外とそうでもないのですね。

繰り返し繰り返し、知らないうちにどんどん使われて磨かれていってるから、無意識の中に強みが眠ってて、だからこそそれは自分ではなかなか気付かない。理由がやっとわかりました! めっちゃ面白いです。

生物のもっている力、再生産能力、初めて聞く言葉です。駄菓子屋さんのおばあさん、確かに似てる気がします! 教育のだいじなところは、社会の核の部分を再生産していること。ということは、軸になる部分ってことで変えられないもの? 変わらないもの? というと、社会で人として生きていくための根っことかベースとかになるものということでしょうか。

知り合いで「読み書きそろばんとともにドラッカー」って言い回しをされてる方がいて、なるほどなぁと思ったことがあります。ひらがなや漢字、文字の読み書きを覚えたからといってそれだけじゃどうにもならないんだけど、それを使うからこそ本を読んで理解したり、思いを文章にすることができる。

足し算引き算も、やり方を覚えるから、計算ができる。つまりあくまでその先に使うための基礎みたいなもの。でもマネジメントに関しては、たとえばセルフマネジメント、自分の使い方とかって、学び方の話も含め、イロハのイすらもまったく触れない。触れないまま、社会って大海に放り出されて「さぁ上手く泳げー!」って、言われても、勘のいい人はいいかもしれないけど、そうじゃない普通の人たちはそりゃ溺れるよって話だよねって思います。

ドラッカーは古い文明の匂いがする

 

井坂 そうですね。

少し話がずれるのですが、ドラッカーのまとう空気感というか、雰囲気の中には、ヘレニズムの匂いがするように感じるのです。

何が言いたいかというと、キリスト教よりも古い思想をベースにしているというか。キリスト教は2000年くらいの思想ですけれども、ギリシアはもっと古いわけですから、水脈としてさらに深いところから採取された水を喉に流し込んでもらう感覚なのですね。

ヘレニズムというのはある意味で、東西が融合していた時代なわけです。そう考えると、現代とよく似ています。たぶん現代はヘレニズム以来の東西融合の時代を迎えていると思う。それこそ二千数百年ぶりに。

ドラッカーの話って、キリスト教臭くないでしょう。キリスト教って、ほら、お説教なわけですよ。彼が引き合いに出しているクリスチャンは、たぶんキルケゴールくらいのものだと思うけど、キルケゴールだって、ふつうの正統的な考え方のクリスチャンではないです。教会ではなくて、実存と言っているくらいですからね。

この古さが、かえって新しいというのかな。これって、古い日本画を見るときにはっとさせられるのに似ていて、たぶんドラッカーは日本画の中に復活されたヘレニズムを見ていたんじゃないかと時々思います。

ものの見方もそうなのです。たとえば、リュンケウスに自らをなぞらえていて、あれは『ファウスト』第二部の半神みたいな存在だけど、もともとギリシア神話の登場人物なんですね。というより、ゲーテははじめから、『ファウスト』第二部をヘレニズムの復興を意図して書いていると思います。

それにギリシアの神々には知識を司っている存在がいっぱい出てくるんですね。手芸とか、醸造とか。神々の世界は知識社会だったのです。

ゲーテ『イタリア紀行』

 

ゲーテに『イタリア紀行』というのがありますが、あれ、今読むとけっこうおもしろいです。ゲーテの創造性とイタリアにものすごく関係があることがよくわかるのです。ゲーテはイタリアに行って、ローマ時代の文物ばかり観察するのです。それでいて、教会堂とか大聖堂とかはぜんぜん見なかったらしい。

これは京都に行って、神社は見るけどお寺はぜんぜん見ないというくらい、ある面で不自然というか、意図して採用された観察姿勢なのだと思います。ゲーテは要するに、キリスト教よりも古い思想から意識して叡智の水を汲み上げて創作活動に生かしていたということなのでしょう。

ドラッカーもたぶん同じです。というか、ドイツ圏の独創的な思想家はみんなそうなのだと思います。ニーチェも、リルケも、ワーグナーも、みんな。深いところから苦労して掘削して水を汲んでいた人たちなのではないか。だから、作品づくりに時間がかるのです。ゲーテが『ファウスト』を仕上げたときは、70歳はかるく越えていたはずです。ベートーベンも『第九』をつくるのに30年くらいかかっていたと思う。

それと、対話法もとてもギリシア的です。本来的に修辞学的で、かっちりと向き合うと言うよりも、風に柳で合気道の達人を思わせるものがあるのです。どこかとらえどころがないというか。これなんかは、プラトンの対話篇に出てくるソクラテスそっくりですね。あれは本当におかしな人です。急に「神霊の声が聞こえた」なんていってね(笑)。

五島 なるほど。ヘレニズムですか! 歴史もろもろ全然詳しくないのですが、ドラッカーさんの著作はもちろん、これまでのお話の流れから考えてみても、東西が融合しているという部分はすごくわかりますね。そして、現代がまたその時代になっている。これもまた再生産のターンってことですね。ふふふふっそう考えていくと、、、面白くなってきました、これ。あぁ面白い。うまく表現できないのが残念ですが、すごくわくわくする感じです(笑)。

前のお話に出てきたように、その中でもだいじな核となる要。それを変えることなく、機能するように使おうねっていうことですよね。そして、そのヒントは、もうすでに、2000年以上前にあったりする。遠い遠い昔からつながれてきたものが、あちこちを巡って、またつながれいてく、大地に降った雨が、草木を茂らせて、いろいろ生まれて、雲があって、また大地に雨を降らせることができて。自然の循環、そんなイメージです。

私は『易経』も少しだけ読んだりするのですが、易経では、すべて自然にならうんですね。

機能するためには、逆らわないこと

 

易経の「易」には、3つの意味があり、世の中はすべて刻々と変化する(変易)、でもその変化には一定の法則性がある(不易)、そしてそれは大変明解で知ってさえいれば、いろいろな面で応用できる(易簡)。それはすでに自然が教えてくれている。今のお話と一緒だなーと。

そして、最初の方の話で井坂さんがおっしゃったように、知識社会。「知っているか知らないか」それが成果を分ける社会。 ということにも同じように当てはまるように思います。

機能するためには、逆らわないこと、冬に種をまいても芽は出ないから。冬には土作りをして、春になったら種をまいて、夏には太陽いっぱいあびて、ぐんぐん大きくなって、秋には実って収穫する。今はどんな時期で、どんなことをする必要があるのか、 その作業の中では必要となる道具や能力だって違うわけで、力がいること、急がなきゃいけないこともあれば、繊細さや大らかさがいることもあるでしょうし。

仕事も同じで、その時その時にあったことをする。必要な能力もバラバラだし、それぞれの得意なこともバラバラ。でも全部それぞれ場面に応じて生かし合うことで、組織として1つのものができ、世の中に届けることができる。そんな風に思います。

 

「環境作り」を意識する

 

井坂 「その時その時にあったことをする」。そのとおりですね。とてもむずかしいですけれども。私などはついあせってしまいます。時宜にかなうことをするのは内的成熟を必要とすると常々思います。まだお子様ですので(笑)。

ほんのちょっと付言なのですが、たぶんドラッカーはフランクフルトにいた若い頃、易経をドイツ語で読んでいたと私は見ています。

というのも、フランクフルト大学で出席した講義に、東洋学があって、リヒャルト・ヴィルヘルムという大家が担当教官でした。中国名ももっているほどの中国通で、ユングとも親しかった人です。ヨーロッパではじめて易経をドイツ語に訳したのがこの人で、ドラッカーも影響を受けているはずだと思います。

ちなみに、易経は英語でBook of Change、「変化の書」と訳されているそうです。イノベーションを予感させるものがありますね。

五島 えぇ、私も難しいです(笑)。

「わかっちゃいるけど、やめられなーい」いっぱいあります(笑)。しかもそれをフィードバックに使って「こういうところは感情が勝つ。」「やりたいものはやりたい。理性より感情」っていう価値観やワークスタイルを持っているってことにして正当化するという悪癖も(笑)。でもこれが「利用する」ってことですよね。

ドラッカーも易経に触れてた可能性があるんですね。仮に読んでいなかったとしても、その教授さんとの時間であったり、その後の水墨画しかり、なにかしらエッセンスは自然と入りますよね。易経だけじゃなく、ユングのこととかも同様に。

井坂 ところで、クレアモントに戻るのですが、数日使ってドラッカーの暮らしたエリアを見たり、ドラッカー・スクールの方々と歓談して、何か見え方が変わったりしたことなどありましたでしょうか。あるいは印象的な場面や言葉などはありましたでしょうか。

「行ったらわかる」これに尽きます!

 

五島 クレアモントは、「行ったらわかる」これに尽きます。私自身が、数人の方から「とにかく1度、クレアモントにおいで。来たら絶対わかるから」って言われて、それだけ言われるなら、よくわからないけど、とにかく行ってみようっていう状態で行かせてもらったんですね。行ったら、「あぁ。ほんとだ」って(笑)。

さっきの話や少し前の話でも書きましたが、「どんな環境にいるか」どんな人やものに出会い、どんなことを感じたのか。それを強く思いました。

まず、クレアモントという場所としての、気候だったり、海も山もあること、都会からも近いけど田舎でもあるという環境。これはとにかく居心地がいい。

ドラッカー・スクールでの、先生同士や、先生と学生さんの距離の近さ。日頃からコミュニケーションをとることを大切にされていること、先生対学生ではなくて、人対人で付き合っているんだなって、やりとりされてる姿を見てるだけで、すぐにわかります。

これは後日聞いたことですが、ドラッカーさんの授業がとても長くて、90分講義したら、休憩時間で一緒に晩ご飯を食べる。そしてまた90分講義する。この一緒にご飯を食べ、話すということを、とても大切にされておられたそうです。そしてその風習は今でもドラッカー・スクールで続いてるらしくて、(今は授業前らしいですが)そういうところも人間関係のポイントなのかなと思います。

そんな中にお邪魔させてもらったわけですが、土地柄もあるとはいえ、皆さん本当にフレンドリーで、ウェルカムしてくださってることが伝わってきたこともありがたかったです。待ってるんじゃなくて、自分からどんどんいく。

発達心理学の中で1番ベースとなるものに「基本的信頼」っていうのがあるのですが、自分がここにいてもいいんだと思えるかどうか。こんな風にされたら、そう思えるんだなと、皆さんのおかげで知ることができ、私もそんな風になりたいなぁと思いました。

茶事に似ている

 

なので、「環境作り」をより意識するようになりました。自分にとって居心地がいい環境とはどういうところなのか、相手にとって居心地よく感じてもらうために何ができるのか。空間・時間・心・物・ふるまい・仕事・プライベート・個人・社会、全部含めて「その場その時」に合ったもの。そういうところに関心が強くなりました(日本で言う、茶事・茶会の準備に似ているなぁと思います)。

井坂 茶の席に似ているとは、本当にその通りですね。あの方も(プラトンがソクラテスを呼ぶときの言い方より)も、京都でお茶会に出たことがあったらしいです。素敵ですね。

クレアモントはみなさんがオープンで、フレンドリーで最高でした。けれども、日本だってぜんぜん負けてはいませんよ。日本はもっと繊細なだけです、本当に。

五島 このやりとりをしていてもビシバシ感じる、井坂さんの素晴らしい感性と知識の奥深さそこから生まれてくるもの、私は素敵だなぁといつも思わせてもらっています。

もちろん、私もそう思います。日本は日本で、日本だからこそ生まれるもの、お茶会1つとっても、お庭・掛け軸・お花にお菓子、総合芸術ですよね。知れば知るほど、なんてすごいんだろうと感じています。

井坂 今後どんな方々がドラッカーを利用できると思いますか? 学校の先生にはもっともっと使ってほしいと個人的には思っているのですが。体育の先生にも笑(苦手だけど)

五島 言ってしまえば、生きるすべての人でしょうか。ちびっこから、年配の方まで、知ってさえいれば本当にいくらでも日常生活・学校・家庭・社会・どこでも使えると思います。

限定的に言うなら、そうですね、先生職の方々は影響力が大きいので私も同感です。マスコミとかもいいかもしれませんね。影響力が大きいところで使って欲しいなと思います。

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