#065 「千年企業」へ。(2) 

真田千奈美((株)京山城屋代表取締役、(株)真田専務取締役)

取材/中野羊彦(ドラッカー学会企画編集委員)・上野周雄(ドラッカー学会企画編集委員)

 

時代の変化に合わせた乾物文化の継承と育成

ドラッカーは、世の中の変化を体系的にとらえ、変化をチャンスに変えるイノベーションを行えと言っている。乾物自体は次第に売れなくなってきている。家庭での調理に時間を掛ける人が減少し、惣菜などが量販店の売れ筋商品になったためである。しかし、乾物は、日本の食文化の極めて重要なものの一つである。日本は、様々な野菜、海草、魚があり、更に乾物造りの天候にも恵まれ、乾物文化が発達している国である。乾物にすることにより生のものより栄養価が増す食品も多い。世の中の変化をとらえ、どのように乾物文化を残し育てていくか。そして、どのように事業につなげていくか。

乾物の水戻しが不便、料理方法がわからないとの顧客が増加している.乾物のインスタント食品としては、2003 年に開発した乾物とだし(出汁)のセットである伝統的インスタント「京のおばんざい」があるが、さらにシニア夫婦2人家族対象に、国産原料のみ使用・化学調味料無添加だし付の高品質セット乾物を開発した。このように、インスタントという方向性を出しながら、家族構成の変化に合わせた商品の開発をしていく。

更に、日本人の食生活の変化を考えると、「ふりかけるだけ、混ぜるだけで食べられる」なども商品開発の一つの方向性になる。売り上げの柱である「京いりごま」をさらに簡単に使用できる商品として「ごま和えの素」を発売した。好評の金ごまに化学調味料不使用による天然調味料を混合した商品だ。ふりかけるだけの他にマヨネーズと和える等、お客様から食べ方のご提案を頂けるほどの美味しさが好評となった。

また、千奈美氏自身が伝道師となり,乾物についての講演活動を様々な地域で行なっている。30代の主婦が集まる乾物学習会・乾物料理教室も開催した。興味を持っている人が多く、古い乾物を現代風料理にアレンジし、栄養価と共に美味しさを伝え続けている。市・府からも依頼され、また、スーパーでも料理教室をやり始めた。乾物料理教室を広げ、新しい料理方法を工夫し、乾物文化を伝え続けて行きたい.さらに、離乳食・子供食にもチャレンジする。フェイスブックによる料理レシピの公開し、若いお母さんによる乾物料理の紹介などの発信を続けている。

真田の新たな取り組みとして、新しい店舗の設置がある。単に、スーパー等に売るだけではなく、真田が作ったものを直にお客様に届けたい。2010年には「きな粉・京都産金ごま・京野菜」の開発で中小企業庁の農商工連携事業の認定を受け、2011年3月に「きなこ」の販売拠点として、京都八坂にきなこ専門店「きなこ家」をオープンした。千奈美氏の長女の寛子氏がその新店舗の店長を務めている。寛子氏は,若い世代が関心を持つきなこの新しい使い方を考えれば、きっと受け入れられるはずだと考えた。「世界に広げよう日本の宝きな粉」を掲げ、構想から半年で「きなこ家」をオープンさせた。寛子氏の狙いは当たり、「きなこ家」には若い世代が多く訪れ、店内は賑わいを見せ続けている。

また、寛子氏は、併設する乾物屋「京山城屋」の店長も兼任し、京七味の商品開発も考えた。京都産一味をはじめとする京七味の美味しさは格別で、売り方を工夫すれば必ずチャンスがある。そこで、デザインに加えて京都産・味にこだわり商品を作った。「京七味ふりかけ」は、ふりかけるだけで乾物を食せ、料理が美味しくなるふりかけタイプの七味調味料だ。更に、外国人 観光客対象に英語表記なども取り入れ店舗改革を続けている。2016年より「京七味つくり体験」をリニューアルし、多くの観光客に楽しんで頂けるようになった。現在、寛子氏は乾物の通信販売も手がけている。2013年以来、通信販売サイト「乾物.jp」革新の陣頭指揮を執っている。

イノベーションを起こすための人財教育とIT革新

ドラッカーは、知識労働者を育成・活用し、いかに生産性の向上とイノベーションを起こすかが、重要だと言っている。千奈美氏は、「これからの乾物屋のイノベーションは若者たちの創造性で決まる。若手社員の教育こそが重要である」と考えている。「伝統と創造」 掲げ、日本一の乾物屋として存続するために何を成すべきかを教育する。

プロジェクトによる新商品の開発では、ただ一品のヒット商品が今後の明暗を左右する。「常にこだわった商品を創る」というコンセプトの下に、「お客様のために何ができるか」を若手社員達に考えさせることが必要である。そのために、自らの欲する商品を創り上げることを課題とし、年に一度の発表会を開催している。これは年ごとにまとまりを見せ、各人が自分の考えをまとめ、商品化できるようになってきた。最近では、単なる新商品だけではなく、「商品開発のためのインターネット・ITの活用施策」、「経費の圧縮施策」、「東京への物流方法の検討」などの発表も行われるようになっている。

また、会社全体を知ってもらうため、総合職全社員を2年に一度担当変更させている。真田は、正社員19名、パート社員50名、合計70名程度の会社である。19名の正社員には各部署を経験させている。新しい仕事に挑戦することで、職場の活性化や本人のやる気の持続に役立つ。マンネリ化した職場を新鮮な目で見ることで多くの無駄を省くことができる。期間限定のため厳しい仕事にも耐えることができ新たな知識が身に付く。立場の違った部署の考えが容易に理解できるようになり、最善の方法で譲り合うことが可能となる。

社員の育成、活性化のためには、ITの革新も重要である。社員全員の意思疎通のためインターネットによるチャッター(日報の公開)やポータルサイト(日常行動の公開)ができるようになり,都度のコメントが可能になった。すべての社員の考えを同時に見ることができるため、時間のある限り読み、感想を発信する。毎日の積み重ねこそが相互理解に繋がる。IT革新がこれからの人材教育の鍵となっている。他人の仕事を理解することでコミュニケーションが図れ、さらにイノベーションに繋がる。

ITは、また、真田が商売の強さを保っていくためにも必要である。大手スーパーなどの顧客はITを使ってビジネスを行っている。大手スーパーから見ると、大規模加工食品メーカーも真田も一緒である。顧客が導入しているレベルのITを、こちらも実施しないと商売にならない。ITができないと問屋まかせになり、主導権を失う。
このようなIT経営の中心を担っているのが、千奈美氏の長男、英明氏である。英明氏は、真田が京都に移転をする段階で入社し、最初工場から入ってIT化を担い、東京で関東への拡販を行い、本社で経営の観点からIT化の推進を行った。このように各所を経験していくことで、仕事をステップアップしてきた。その結果、英明氏は、会社全体の業務とIT経営の中心を担うようになった。そして、そのような流れに沿う形で、昨年(2016年)の12月には、佳武氏から英明氏への社長の交代が実現した。

このように、ドラッカーの教えによる経営と様々なイノベーションのお陰で、真田の売り上げは順調に推移している。 顧客の望む常にこだわった商品を創り続けると共に、社内イノベーションを続けることが1000年企業実現の源である。千奈美氏は、2014年には、ドラッカー学会の年報に、これまでの経営施策をまとめて「山城屋おんな経営記 ― 1000年企業を目指して」と題した記事を発表した。

今後の抱負

真田は2014年に創業110周年を迎えた。記念式典では、日本各地から参加いただいた約50社の優良仕入先に対して「山城屋は乾物で1000年企業を目指す」と宣言した。新商品を開発する度に取引するようになり各地の乾物を守っている人たちに、「本場の物,本物の味」を大切にする真田の考えを理解いただく。このような人たちと企業価値を共有することが、これからの1000年を決定する。

真田のDNAとは何だろうか。「生産者が大切、その思いを持たないと成り立たない」というのが、その一つであるが、もう一つは、「女性の活躍…おんなに仕事を任せてくれる」というものがある。2014年のドラッカー学会の年報記事「山城屋おんな経営記 ―1000年企業を目指して」には、サダ氏、悦子氏、千奈美氏、寛子氏など、歴代の女性の活躍が出てくる。千奈美氏は、この年2014年には、京山城屋を株式会社京山城屋と定め,株式会社京山城屋の代表取締役に就任した。そして、店舗運営・きなこ家・通信販売・こだわりの店舗への直取引を始めた。

千奈美氏は、「人生には3つの段階がある」と言う。それは「①生まれてから結婚まで」「②子育てと仕事」「③どのように世の中に役立つかを考える」である。今、千奈美氏は③の「どのように世の中に役立つかを考える」入口にいると認識している。千奈美氏の考えている社会に対する貢献は、「乾物文化の普及」であり、「日本の農業生産者の育成」である。更に言えば、「1000年企業になるために、次の後継者を育てる」ことも重要である。

千奈美氏は、ドラッカーから問いかけられた「何によって憶えられたいか」に対して.「自分の役割は、100年企業の山城屋を1000年永続する企業に育てること。その礎をつくった者として後世に憶えられたい」と答えた。1000年永続する企業の礎となるのは、人の育成である。息子・娘が育った今、千奈美氏の後継者に対する関心は、「孫をどのように育てていくか」にある。千奈美氏は「孫には語学を学ばせたい」と考えている。「乾物文化の普及」や「日本の農業生産者の育成」を推進しようとすれば、グローバル化は避けて通れない課題である。しかし、一方で真田のこだわりを海外に伝えようとするのは難しい。心が通じあう営業にならないと難しい。その意味で語学は重要である。

江戸時代初期の米問屋から続いてきた真田家。その歴史はイノベーションの歴史と言っても良い。そして、その背後には常に女性の活躍があった。千奈美氏もまた、「乾物文化の普及」や「日本の農業生産者の育成」などの社会貢献をしながら、真田が更に1000年続くための礎を作る者として、歩み続けている。

 

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