#054 福々の人生の佳境でありたい

長澤としお(看護師。私立大学病院を経て、現在国立病院勤務) 

聞き手/井坂康志

 

プロの看護師として手術を担当

――――今どんな仕事をしているか簡単に教えてください。

長澤 都内の大規模な病院の看護師で、手術を担当しています。頭から足先まで、体のあらゆる部分の手術に立ち会います。患者さんの安心、安全に最大限の貢献ができるよう、配慮を払いながら日々業務に取り組んでいます。

――――どんなところに苦労していますか。

長澤 幸い経験を積みましたので、今現在業務に関しては苦労を感じることはありません。

緊急時も、医師やコメディカルが何を求めているのか、自分はそれに対してどのように先を読み行動していけばよいのか、考えるよりも先に体が反応してくれます。

後輩からアドバイスを求められたときも、ドラッカーさんが言うようにまず「聞くこと」に重きを置きつつ、どうすれば適切な行動につながるかを振り返り、フィードバックするようにしています。

ただ、こちらの伝えたいことと、向こうの受け取り方に違いを感じることもあり、いつもスムーズというわけではありません。

そう、しいて言えばですが、苦労というよりも、年齢を重ねたせいかこれからいかに生き、どのように終末を向かえたいのか、ふと自問する機会が増えました。

病院で働くということは、人の死を目にすることでもあります。

少しずつ、自分に残された時間で何ができるかを考えることは、これからの歩みにも良い刺激になります。

現代は、大変多くの人が忙しく過ごしていますが、それを言い訳にせず、自分に残された時間について目を向けることはとても大事なことだと思います。

ドラッカーさんは、自分の終末をどのように迎えたいと考えていたのか、そして、それはかなったのか気になりますね(笑)。

 

「福々の人生」をめざす

――――第二の人生を考えますか?

長澤 はい。ただ、「第二の人生」という言葉の使われ方にどことなく前向きな響きを感じなくて、壮大な仕切り直しや、奮闘のイメージがあるんです。

それ自体は全く悪いことではありませんが、今自分の考えるものとは違うんですよね。

名付けるとすれば「福々の人生」。奮闘せずに自分が福である。すると周りも福となる。

なので福々。私なりに貢献とは、福につながること。対象は組織であっても、社会であっても、個人であっても良い。

自分にとって、福々な道を感じたいと思うようになりました。そしてきっとそれは、誰でも、いくつからでも始められると。

――――なるほど。福とはたとえばどんなものでしょう。長澤さんの経験のなかで。

長澤 私の思う「福」の一つは、喜びです。喜びの感情は、精神的な安定をもたらします。

この安定は、成果を産み、かつ現代のストレスからの防具になります。

もう一つは、自分が何をしたいのか、わかっていること、見えていること、だと思うのです。どんなにお金を持っていても、満たされない人はいます。一方、今裕福ではなくても、自分が何をしたいかわかっていて、それに向かっている人は「福」に近い状態です。おそらく、なんらかの形でそれは文字通りの福を連れてくるでしょうから。

 

私の「福」体験

――――ここしばらくの福体験はどんなものでしたか。

長澤 例えば、私には、「世界の美しい景色、街並みをたくさん観たい」、という思いを持っていることがわかりました。

それで今年、丸一週間ドイツに行って、私が美しいと感じた景色や街並みを写真に収めてきたんですね。すると、その話をしたり、写真を見たひとが興味を持って楽しく聞いてくれる。時には質問を投げ掛けてくるわけです。「わたしの次の旅行はドイツにしよう、と言ったり、喜んでくれる。

相手が喜ぶ。これは、立派な貢献ではないでしょうか。全く大げさである必要はありません。難しく考える必要もありません。ほんの些細なことでも、誰かが喜んでくれるならそれは自分がした貢献です。

 

ケルン大聖堂遠景

 

――――ちょっと目線を変えますが、これまでの人生で最大の福体験を教えていただいてもよろしいでしょうか?

長澤 今でも鮮明に覚えているのは、大学に合格した時です。

私は中学、高校も平凡な成績で、特に目立つ方ではなく、だらだらと過ごし、勉強もほとんどしませんでした。

高校卒業してから社会人をしていましたが、目標や生きがいと言ったものはなく、ただ漠然と時を使っていました。ところがバイクで事故にあい、完治まで数年を要する体験がきっかけで、看護師を目指すようになりました。

高校時代ほとんど勉強をしていませんでしたから、それはもう必死で勉強です。

27歳で予備校に入り、10歳年下の同級生に混じりながら、一日机に向かう日々を過ごしました。基礎が全くわからず、みんなに置いていかれるようで精神的に不安定なことも経験しましたが、一年で絶対に合格するという思いだけは忘れないようにしました。

不安だらけの受験当日を終え、2週間ほどで結果が届きました。明らかに鼓動が高鳴り、手に汗が出てくるのがわかりましたが、気を落ち着かせて封筒を開封すると、「合格」の文字。28歳になっていましたが、もう嬉しくて嬉しくて、玄関の前で何度も飛び跳ねたのを覚えています。

今でこそ、大学の看護学部はたくさん設立されていますが、当時は看護の大学は多くなく、入学は狭き門でした。第一志望の大学に合格できたことは、喜び、福の体験です。

 

自分を知り、幸せを真剣に追求する

――――現在の看護師のキャリアパスもそこで手にしたわけですね。これからの福としての目標をひとつ聞かせていただけますか?

長澤 はい。現在の仕事は大学を出ることで得ましたが、そこでドラッカーという人を知ることができたのは、私にとってまさに「福」産物でした。

なんだか調子がでないな、疲れたなと感じる時、ドラッカーさんの本を読むと、すうっと気分が軽くなりました。硬くなった思考や心をほぐしてくれる感じです。福です(笑)。

これからの福としての目標ははっきりしていて、自分と向き合う時間を増やすこと、自分に時間を使うことです。自分を知り、幸せを真剣に追求すること、と言い換えられるかもしれません。

それはなぜか。私は、まず自分が福でなければ、他の人も福にはならないのではないか、と感じています。最初に自分が福になる、すると他の人にも福が伝わる。

反対に、自分が福でないなら、他の人から福を求めるようになったり、他の人を傷つけてしまうかもしれない。それも、意識することなく。それは他の人の福を奪うことです。

ありがたいことに、今、仕事で忙しい毎日を送っていますが、しかしそれは組織に拘束されている時間が長いということでもあります。気がつけば自分と向き合う事なく、自分の幸せとは何かを考える事なく、一年が驚くべき速さで過ぎていきます。そして、あっという間に定年が来て退職です。

その時に、日本でいう第二の人生の始まりを始めるのではなく、すでに福々の人生の佳境でありたいと考えています。私を含め、多くの人は自分に真剣に向き合う時間や、自分のために時間を使うことはあまりしていないかもしれません。

ドラッカー好きの人こそ、他者への貢献をよく考えます。大変素晴らしいですし、私もそういう人たちを尊敬します。

でも、自分が福上手であれば、他の人にとって何よりも貢献になる。

自分に時間を割き、幸せにすることは、生きやすく住みやすい世の中になり、充実した人生を送る秘訣なのではないかな、と考えています。

 

 

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