#061 ピーター・ドラッカーと私

藤田聰(ドラッカー学会会員、(株)企業変革創造代表取締役社長、市場価値測定研究所所長)

 

ドラッカーを知るきっかけ

ピーター・ドラッカーを始めて知ったのは学生時代に溯る。1980年代当時、立教大学の経済学部に在籍していたのだが、3年に進級する頃、ゼミ(研究室)の募集案内があった。経済学部の掲示版を見ると、数々の募集案内がある。正直、当時のレジャーランド化したキャンパスでは、ゼミに入っていると就職に有利という浅はかな志望動機がマジョリティーであった。それぞれのテーマを見ると、どうも難解で専門特化しているものばかり……。

その中で一枚だけピンク色の募集要項があった。近づいて見てみると、研究テーマは「日本の将来を考える」。社会学のみならず、経済、経営、心理、政治、歴史、哲学など、様々な分野からアプローチしていきたいと書いてある。社会学部のゼミだが、在籍学部・学科を問わず募集していた。今でも覚えているが、募集要項には、更に、“態度・物腰し・言葉遣い・礼儀・目つき・顔つきに至るまで最高水準の学生を求める”と書いてあった。

当時、大学の授業に失望感を覚え、悶々としていた自分にとってはかなり刺激的でチャレンジングなものだった。“何だか面白そうだ。よーし、受検してみよう。”教授の名前も知らないまま、受検をして、狭き門を何とかくぐり抜けたその先には……。

春学期が始まり、4月中旬の一回目のゼミで“モダンなクリーム色のカジュアルスーツで颯爽を現れ、さあ、始めよう!”という元気な掛け声。これが50代後半の野田一夫先生(当学会顧問)との最初の出会いである。日本に初めてドラッカーの著作を紹介し日本に招いたのだから、「ドラッカー研究」というテーマかと思いつつ、先のテーマである。知的好奇心が旺盛で、一つの事に頓着しない学際的なアプローチだ。ゼミ活動は週4日、計10コマ、週2冊ペース、年間100冊。体育会の如く運営されていたが、ドラッカーの本を読んだ記憶がほとんどない。今、この瞬間を追い続ける野田先生にとって、ドラッカーは既に過去の人であった(実はそうではなかったが…)。

よく、野田先生は我々学生に、Call me Pete!(ピートと呼んでくれ(だぞ)!)やら、一緒に登山をした際の逸話など、学生の頭でも理解できる極めてわかりやすい話をしてくださった。ドラッカーの著作はある程度の年齢や経験を経た後でなければその味がわからないもの。そういうところを実は野田先生はわかっていたかもしれない。確かに、自分自身、学生時代を含め、20代~30代の頃はあまりピンとこなかった。虫の眼(現場視点)から鳥の眼(経営視点)に変わるころから、徐々に親和性・納得性が高まっていくのではないか。社会生態学とはそもそもそういう類のものだろう。よって、彼のファンは経営者や上級管理者が圧倒的に多い。良著は事あるごとに読むものだが、ドラッカーの著書は読者の置かれている心理的風景によって味わいが違う。一粒で数度おいしい感がある。

さて、自分なりに一つだけドラッカーを僭越ながら評したい。それはものの捉え方における独自性と納得性が卓越していることだ。例えば、“事業の目的は顧客の創造である”という捉え方。このように捉える人はドラッカーだけ。更に、顧客の創造にはマーケティングとイノベーションが重要!シンプルだが、まさにその通りだ。どういう業態であれ、企業が生き残るにはマーケティング?顧客が探し求めている価値、満足を理解し、提供する力(価値把握力・対話共感力)と、イノベーション?今までとは違った、新しい顧客価値、満足を創造する力(価値創造力・連携開発力)に掛かっている。

行きつく先は“企業は人なり”

過日、ドラッカーと親交があった野田先生が日経ホールの基調講演で中小企業経営者を対象に、“企業は個性が問われる、個性なき企業は市場から去れ!”というようなテーマで講演があった。個性とは尖り感である。ナンバーワン以上にオンリーワンのものが見つかれば尚更いいわけだ。ユニークで卓越した技術やビジネスモデルを持って企業は成長・発展する。立ち上げ期はどの会社も中小・ベンチャー企業だ。

現在のパナソニック、ホンダ、SONY然りである。実は3社ともに人を主軸に置いた経営を創業期から行っている。共通するのは、人材(Human Resource)ではなく、人間(Human Being)という捉え方である。戦略論で言えば、(1980年代~CSV以前の)マイケル・ポーター的な左脳系・要素還元主義的な発想と、ヘンリー・ミンツバーク的な右脳系・全体包括主義的な発想の違いで、日本企業はこれまで後者で人材を見てきた訳だ。

私は1998年以降、市場価値測定という独自の能力評価テストをベースに社員力の測定を行っているが、まさに“企業は人なり”であるとつくづく思う。その会社でも必要で普遍的なビジネス基礎能力(仕事力)を1000点満点で可視化する。社員力の測定結果では、大企業平均値が520点、中小企業平均値が450点、然しながら、規模は中小企業だが、卓越した技術・ビジネスモデルを有している成長・発展が著しい一部のベンチャー企業は580点で実は大企業以上に社員力が高い。そういう企業が伸びていくものだ。

結局のところ、社員力とは社長力ということだろう。優れた社長には優れた社員が集まるものだ。やはり、ベンチャー企業の社長力は卓越している。もはやベンチャーの域を越えているが、ソフトバンクの孫さんやファーストリテイリングの柳井さんや楽天の三木谷さんを想像して欲しい。ベンチャーキャピタリストとして著名な方が、投資する際に企業のどこを見るかという質問に対して、“1に社長、2に社長、3、4が無くて、5に社長”と述べられていたことを思い出す。

野田先生はゼミの学生に“(既に出来上がっている)大企業は行くな、ベンチャーに行け!”と鼓舞していた。大企業とてそもそもは発展著しいベンチャーであって、若き学者の頃、記事のインタビュー等で直接やりとりされた松下幸之助さん、本田宗一郎さんなどがオーバーラップしているのだろう。“牛後になるな、鶏頭になれ!”という熱いメッセージはベンチャーという環境に身を置いたほうが本人の成長スピードや起業という点では圧倒的に魅力的だったからであろう。現在、凄まじいスピードで進行している「働き方革命」という構造変革の中で、悶々としているサラリーマンの姿を見ていると、今となってみてその意味がわかるものだ。

中小規模で停滞する企業と躍進するベンチャー企業の経営者の違いは人・モノ・金の捉え方の違いに尽きる。ほとんどの中小企業は実は金→モノ→人であり、結果起点で考える。よって、結果が悪ければ、人に投資しない。採用はしない、教育にお金を掛けない。その結果として、経営資源のバランス性に欠けてしまうのである。

しかしながら、一部のベンチャー経営者は逆の発想をする。全ての原資は人であることを理解しているので、逆風下の経営状況でも人に投資するもの。どんな時でも採用、教育に力を注いでいる。特に、採用は生命線であることを認識しているので高い絶対基準で採用している。更に、理念教育を徹底し、組織としての結束力を固めている点が共通項である。人・モノ・金のバランスを常に保っている。

問題提起としての「グローバル」の捉え方

2010年を私は“グローバル元年”と呼んでいるが、日本を代表する企業、例えば、日立製作所などが、本気でグローバル経営やリーダーの養成に着手した年だ。経産省や文科省など、グローバル人材の定義をされているがほとんどが似たり寄ったりだ。

ここでドラッカーから学んだ「捉え方」を意識して、1点、私なりに問題提起をしたい。グローバルの本質は?がることと捉えている。コネクトできるかどうかは専門的な技能の深さそのものである。地球儀をイメージして欲しい。中核までのどこまで掘ることができるかがグローバル度に通じていく。最後まで諦めずに中心部分まで掘った人が世界的に有名なグローバル人材となる。つまり、ビジョン・志を持って事に取り組み、最後まで諦めずに続けることがグローバルの大前提である。つまり、能力要件であると、・Vision(ビジョン策定力)と・Professionality(卓越した専門技能)となる。端的に言えば、“仕事が箆棒にできること”これに尽きる。現役大リーガーのイチロー選手、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授などを見れば一目瞭然だろう。

卓越した仕事ができないグローバル人材とはフレームワーク(枠組み)だけでコンテンツ(中身)がないのも同然だ。
グローバルで生きることを選択したのならば、多種多様な民族や国籍の方々と円滑なコミュニケーションを取るために、・Intercultural Competency(異文化適応力)→・Logical Thinking(論理的思考力)→・Language Skills(語学力)が必要となる。以上の5つの能力が備われば、グローバル人材として活躍できる。更に、グローバルリーダーを目指すのであれば、日本人が最も苦手とする・Leadership(リーダーシップ力)、・Decision Making(意思決定力)の能力開発は避けて通れない。最後の・Imagination(想像力)はスティーブ・ジョブズ氏に象徴されるようなグローバルトップリーダーとして、新しい世界を創造することに必要不可欠だ。

以上、私が提唱している「CONNECTING 8」というグローバル能力開発モデルでも中核となるのはビジョンである。
現在、グロハラ(“選抜されたグローバル人材でないと人材に非ず”というハラスメント)が大手企業を中心に見受けられる。語学コンプレックスのある方はグローバルの本質を見極めていただきたい。能力構造的に理解することでそのコンプレックスから解放されるはずだ。ビジョンを明確化し、それに向けての具体的なアクションプランを計画・実行し継続していけばグローバル人材になっていけるのである。

以上が、私の「グローバル」の捉え方である。遠く天国からドラッカー先生はどのように見て下さるものだろうか?

 

 

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