#045 [対談]学びの達人ドラッカー(その1)
井坂康志
五島優子
五島優子、2017年2月にクレアモントに行く
井坂 最初に行ったのが2005年の5月でした。八木澤智正さんにご案内いただきました。あのときお目にかかったマチャレロ教授、リップマンブルーメン教授などもお元気で、うれしく思いました。12年という確かな時間が流れたけれども、クレアモントはクレアモントのままなのが印象的でした。
五島 初めてのクレアモント。
青空が本当に青空で、晴天ってこういうことを言うんだなぁと思いました。「クレアモント」って皆さんが口にされる意味が少し分かった気がしました。
クレアモント行ってから、場所や人、環境が生み出す力をより考えるようになりました。皆さんとご一緒できて嬉しかったです(何より無事飛び立てて良かったです(笑)
井坂 そうですね。最初と最後でのトラブルの張本人として、内心忸怩たるものがあります。ところで、ドラッカー邸に行ったわけですけれども、どんな印象でしたか?
五島 そうですねぇ……、井坂さんも感じられたように、生活と仕事がいい意味で同居してる感じでしょうか。
いい仕事をするためにも、自分の住まいが心地よいものにされてるというか。
玄関に入って目の前に広がる心地よい光が射し込むリビング、窓の外にあるプールの水の輝き、本棚に並べられたいろんな言語の本たち、籐のチェアに、座り心地の良いソファー、壁にかけられた掛け軸、作業しやすそうな少し広めの書斎のデスクにタイプライター、一貫性がなさそうで、でもまとまりがあって、変な表現になりますけど、1つ1つが息をしている、そのものがそのものとしている、機能しているという表現がぴったり合う。
これって、自然に逆らわない、そのものがそのものである、1人1人がイキイキしてる社会のミニチュア版ともいえるなぁと、そんな風に感じました。とても気持ちの良い、居心地がいいお宅でした。
井坂 住まいは思想そのものなんですね。あの素朴な家がドラッカーの人となりをそのまま表現していたと思う。秘書もおかなかったそうです。前回は書斎は見られなかったので、哲人の頭脳と心の回廊を通り抜けることができました。
ところで、ドラッカーというとかつては中高年以上の男性に支持されているイメージがありました。最近、女性の人生の指南役としても読まれているように感じますが、どう思われましょうか。
女性はドラッカーをどう読むか
五島 なるほど。住まいは思想そのもの、その表現素敵ですね。まさにその通りです。
女性に関してですが、特別な思いはあまりないのです。ドラッカーさんが土台にしていたのは、いい会社を作ろうっていうよりも、いい世の中、文明に関心があったわけですよね。そのために組織のあり方、そこで働く人のことを考える必要があった。
だから私の中では、「みんなが、こんな世の中(ご時世)に、誰もが機嫌よく暮らすには、どうしたらいいんだろ?」ってことを、いろんなとこから書いてくれたのがドラッカーさんなんですね。
「このポイント押さえてた方がいいよ。」「こんな視点は、考えてみた?」って。だから、ドラッカー難しいって言葉よく言われますけど、それよりも、おじいちゃんの知恵袋だったり、謎かけみたいなものなんです。「さぁ、なーんだ?? ほれほれ、よく考えて〜」って(笑)
結局、人がたくさんいるのが世の中だから、それは会社とか家庭とか仕事仲間とか友達とかあんまり関係なくて、どこも一緒で。世の中で、人と過ごしている以上、誰でもどこでもなんでも使える。
で、女性に読まれるようになったという意味でいえば、まずはやはり岩崎夏海さんの『もしドラ』があり、そして最近でいえば吉田麻子さんの『人生を変えるドラッカー』の影響が大きいと思います。
それは、『マネジメント』の中のコミュニケーションのくだりにも出てきますが、ソクラテスが「大工に話す時は、大工の言葉を使え」ですよね。
本屋さんに行って、『マネジメント』『創造する経営者』『イノベーションと企業家精神』『非営利組織の経営』って並んでたら、そりゃやっぱりそれらをすぐに手にする人は、そこに関心がある方々、経営者さんだったり、ある程度上の立場の方々、割合的にも男性が多くなると思います。
それが、『もしドラ』や『人ドラ』のおかげで、それ以外の方々、女性が手に取る入り口が新しくできた。自分には関係ないと思っていた人たちにとっても、自分の関心と近いのかもとドラッカーさんの本をつなぐ、架け橋ができた。そして手に取るようになった。そして、やってみたら、うまくいったっていう姿をまた別の友達が見たり聞いたりして、私も読んでみよーって広がっていってるってことだと思います。
私の周りでも女性で読んで使って変化していく姿を、たびたび見てるのですが、本当にとてもおもしろくて素敵で嬉しいです。
指南力あるメッセージ
井坂 たぶん本当に指南力のあるライターは時代のいちばんかすかな声を聴きとる人だと思うのですけれど、『もしドラ』も『人生を変えるドラッカー』も、意識しているかどうかはともかく時代の声を聴いて、それを衆人に先取りして示しているところがあると思います。ドラッカー流に言い直せば、指南力のあるメッセージはみんな「すでに起こった未来」なんです。
よく世間ではクリエイティブなものって、何か極端に個性的なものだったり、ぱっと見どぎついものと思われているじゃないですか。でも、違う。とても保守的なものだし、言われると何の変哲もない素朴なものだと思う。しかも、本人はいささかも指南している自覚がない。
女性のことでいえば、私は女性は指南力を含むメッセージにとても敏感だという印象を持っています。そして、女性がドラッカーから学ぶようになっているのには、必ずポジティブな理由があると感じます。
すぐに思いつくのは、世の中がほぼ知識社会になったことかもしれません。
知識社会っていうと難しく感じるけど、簡単に言えば、「知っているか知らないか」それが成果を分ける社会です。何かするとき、そのたびに、「あなた、これ知っている?」って聞かれている社会。
「知っている」と答えたら、次は「じゃ、やってみて」という社会です。
知るというのは、行為まで含んでいるから、まさに知は力なりで、知っていることはできることなんです。
たとえば、「あなた、英語しゃべれる?」ってきかれて、「はい、しゃべれます」って答えたとする。「じゃ、来週のコンファレンスで同時通訳して」っていわれたとする。「すみません、あと3ヶ月猛勉強しますので時間ください」っていうのは、知っていることにならない。知っているというなら、「今ここ」でできなければおかしいです。
そう考えると、知識は蓄積がものをいう世界なんですね。付け焼き刃が通用しないのです。知識っていうのは、ある面で、歴史そのものですから。積み上げられてきた凝縮物。
それでいて、一度知ってしまえば、誰でも使えるものです。今コンピュータを使ってしまえば、20年前の天才や努力家が逆立ちしてもできないことが瞬時にできてしまいます。
かつて私は出版の版権の実務をしていたことがあるのですが、ネットとパソコンがなかったら、英語を書いたり、打電したり、契約書をやりとりしたというのがたぶん半年かかるだろうということが、3日もあればできるのです。
知ってるか知らないかだけなのです。
知識は農業に似ている
しかも、知識は狩猟というより農業に似ていて、長い時間をかけて育てたり蒸留されたりしたものを「受け取る」という要素が強いと思います。受容的な姿勢というか、そう、ソクラテスでいえば、大工の言葉を理解できるかが知識の価値を決めるようなところがある。
条件はそれだけなのですから、女性がそこに指南力を感じないわけにはいかない。なぜなら、もともと伝統的に女性の世界は知識社会だから。
子育ても料理も家事も、みんな知識社会です。知っているか知らないかがものを言う世界です。だから、少し前までは、おばあさんの知恵とか、そういうものがきちんとあったのです。
しかも、ものづくりとか、ある面で男性的な世界をちょっと距離を置いて眺められる立ち位置にいたこともあるかもしれません。いってみれば産業についてはコンサルタント的地位から見られる。しかも、仕事と生活を二分法で考えないから、目線を広くとれるのかもしれない。
たぶん海外のコンサルティングファームの上層部とか、欧米の政治などで女性がよく見られるのは時代状況や立ち位置と無関係ではないと思います。
五島 そうですね。
昔、最高のサービスは「ありがとう」と言われないことって教えてもらったことがあります。「ありがとう」って言われるってことは、波が立ってるから気付くことですよね。どれだけさり気なく、できるか。いかに相手に気にされないか。でもそれって実は相当考えてなきゃできないことで、めちゃめちゃクリエイティブ。素敵な仕事ぶりだなって思います。
確かに生活の要素って、知ってるかどうか、ほんの些細な差で全然違いますね。ほうれん草のおひたし作るのに、先っぽ切ることで、あんなに変わるなんて知らなくて、ものすごくビックリしたのを覚えています(この辺りは、便利になったが故にいろいろ知らなくなっていってるという別の問題もあったりもしますが)。
これは私がよく話すことでもあるのですが、「24時間全部自分」ですよね。
「はいっ17時になった! 仕事終わり! もう仕事のこと考えたくない! 今からプライベート!」ってできるもんじゃないと思ってて。ドラッカーさんのおうちもそうですが、仕事も家での時間も、全部つながってるって思ってます。仕事と家って分けられるものではなく、家で機嫌よくいられたら、職場に向かうのも気持ちよくいけるだろうし、職場でいい感じにいられたら、家に帰っても愚痴ばかりにはならないだろうし、つまり、仕事で成果をあげるのも、自分が機嫌よくいられるってことも、私の中では同じレベルの成果のひとつなんです。
その上、仕事は仕事でできるようになりたいし、家での時間も満喫したいし、遊びにも行きたいし、仕事ではビシっとしたいけど、プライベートは甘えたいし状況違えば矛盾もいっぱいです(笑)
で、そんな時にも役立つのがドラッカー。
「何をもって憶えられたいの?」「今、なすべきことは何?」とか、時間の使い方、優先順位に劣後順位って、もぅそれはそれは本当に役に立ちます。
それも結局、ベースにあるのが「いい世の中」「人」だから使えるってことだと思っています。
『経営者の条件』読んで実践した主婦の方がいる
ついでに、電車の中でも家でも、暗い顔ばっかりじゃなくて、いい表情してたら、態度で示すことができていたら、それを見た周りや下の世代の人たちも「大人って楽しそうだな、いいもんだな」って思ってもらえるかもしれない。それが人としてやんなきゃいけない仕事だとも思っていて。マネジメントの正当性である、「私的な強みは公的になる」ってそういうことなんじゃないかな〜と、そんな方に私は捉えてます。
余談にはなりますが、私の知り合いで『経営者の条件』読んで実践した主婦の方がいるんです。
料理大っ嫌いでほとんどされなかったそうなのですが、いろんなことあって、自分の主婦としての目指す方向・役割が明確になり、自らいろいろ料理されるようになって、ある日旦那さんに「おいしい」って言われたと。家族で食卓囲んでて「おいしいね」って会話すること、それがこんなに嬉しいといい時間だと思わなかったって、涙したと。それからさらに家族が仲良くなったそうです。
それは本当に素晴らしい成果、変化だなぁと思いました。聞きながらこちらも涙涙でした。