#041 テクノロジストを養成する大学での出会い
薄木伸康(清水建設株式会社 勤務)
学生時代、技術革新が資本主義に与えたプラスマイナス両面の影響や製造業の経営改善を勉強し、修士で公共投資の投資効果を研究した。まだ日本では社会資本としてのインフラの整備が必要だと感じ、実務に直結する民間の業務に関心を持ち、大手建設会社の門を叩き、運よく入社できた。
会社では開発営業や不動産の運営業務などを経て、2年半前に縁あって、ものつくり大学へ出向、総務課長として着任した。
ものつくり大学は新しい時代に理論と実践力を兼ね備えたテクノロジストを養成することを理念とする私立大学で、2年間の出向中、会社での実務経験を生かしながら、総務、会計、施設を取りまとめた。
民間の流儀を非営利組織である学校法人に持ち込もうとするやり方では職員の理解は得られにくいことがわかり、民間の常識で職責を押し通すことに捉われず、優秀な学生を企業に紹介したり、出向元と連携して建設業を目指す学生向けの業界の紹介授業を企画したりと、前向きの産学連携を推進した。
ものつくり大学は、英語名(Institute of Technologists)を命名したドラッカーと深い関わりがある。それは上田惇生先生が開学前から設立に邁進され、ドラッカーとも意見を重ねテクノロジスト養成の組織を創り上げたからに他ならない。
上田先生は2001年の開学時から「マネジメント・社会論」の教鞭を取られた。そして14年後、私は上田先生の後任である井坂康志先生の講義「ドラッカーのマネジメント論」を勤務時間中に抜け出して聴きにいった。「経営者に贈る五つの質問……われわれのミッションは何か? 顧客は誰か? 顧客にとっての価値は何か? 成果は何か? 計画は何か?」をベースに経営、マネジメントの基本をわかりやすく教えていただける贅沢な時間を学生と過ごした。
このご縁で、井坂先生からドラッカー学会と渋沢ドラッカー研究会へお誘いいただき、上田先生にもお会いした。10数年ぶりに「プロフェッショナルの条件」や「経営者の条件」を読み、さらに数冊を五月雨式に読んだ。社命で着任したものつくり大学でのドラッカー、上田先生、井坂先生との出会いは私の人生観に大きな影響を与えてくれた。
20世紀の動乱期を乗り越えたドラッカーの教えは教条主義でなく、各自が強みを見つけ、その強みを伸ばしていく、という柔軟で誰でも自分なりのペースで取り組める教えが心地よい。
合わせて勤務先が創業期に経営指南を受けた渋沢栄一の経営理念を紐解いた。渋沢栄一は少数の経営者が労働者を雇用する純粋な資本主義とは異なる合本主義を主張し、知恵を出し合って経営を高めていく現在の多くの日本企業の底流にある経営思想の根幹を作り上げた。
この春復職し、数年前に所属していたPFIを推進する職場に戻った。ここでは体育館、音楽ホール、大学研究施設、国や地方の行政庁舎などの公共施設の設計、施工、運営、維持管理を民間グループが経験とノウハウを総動員して取り組むPFI方式による整備運営事業を提案している。事業計画を中心とした提案書の作成や落札後の事業運営のフォローをしており、私にとってはドラッカーの教えを支えに今までの職務経歴をフルに活かせると考え日々精進しているところである。