#031 untitled(無題)
鬼塚裕司(タネマキスト)
“上司もまた人であって、それぞれの成果のあげ方があることを知らなければならない。上司に特有の仕事の仕方を知る必要がある。(中略)人には、「読む人」と「聞く人」がいる。(中略)聞く人に分厚い報告書を渡しても紙の無駄である。耳で聞かなければ何のことか理解できない” (『経営者の条件』1966年)
1945年8月9日。
われわれ日本人にとって、長崎人にとって、忘れられない、忘れてはならない日。
一発の原子爆弾が長崎市の上空503mで炸裂し、7万4000人の尊い命が奪われた日。
この人類史上実戦で使用された最後の核兵器により、72年もの歳月が流れた今なお多くの人たちが心身ともに苦しんでいる。
「その日」から遡ること約4ヵ月前、1945年4月13日。
前任のルーズベルトが急死し、副大統領だったハリー・S・トルーマンが第33代アメリカ大統領に就任して、わずか13日後。
そのとき、ホワイトハウスの大統領執務室には、トルーマン、陸軍長官のヘンリー・スティムソン、そして、“マンハッタン計画”の最高責任者レスリー・グローブス准将の3人がいた。
マンハッタン計画とは、当時の大統領ルーズベルトの命により、22億ドルもの国家予算を投じて極秘裏に始められた原爆開発・製造のプロジェクトのこと。「何の脅威にもならない」という理由で副大統領に据えられていたトルーマンには、マンハッタン計画のことなど何も知らされていなかった。
グローブスは、新大統領、即ち軍の最高司令官でもあるトルーマンに対し、プロジェクト続行を認めてもらう目的で全24ページの報告書を持参していた。
ところが、である。
「大統領は報告書を読むのは嫌いだと言った。原爆開発の規模を考えると特に長いとは思えなかったが、彼にとっては長かったようだ」(グローブス・談)
あろうことか、トルーマンは報告書の詳細を知ろうとはしなかった。さらに不幸なことに、これにより計画の続行が黙認されたとグローブスは解釈した。否、計画を強引にでも推し進めたいグローブスと軍にとって、トルーマンの曖昧な態度はむしろ好都合だったのではないか。
この瞬間、われわれ日本人にとって、悲痛なる運命が決まった。
「読みたくない」というトルーマンのささやかな態度が軍の暴走を許してしまい、その後、政権側が認識の誤りに気づいたときにはすでにコントロール不能になっていたという。結局、最後まで大統領の明確な決断が下されることなく原爆投下の日を迎えることになる。
『経営者の条件』には、そのことを示唆するようなエピソードも紹介されている。
“アイゼンハワー元帥が大統領に当選したとき、前任者のハリー・S・トルーマンは、「アイクもかわいそうに。元帥のときは命令すればそのとおり実行された。これからはあの大きなオフィスから命令してもなかなか実行されないだろう」と言ったという。”
たった一発の原子爆弾によって祖父母、伯母たちを失い、憤懣やるかたない被爆二世・鬼塚は、迂遠な(歴史上ありえない)「もし」を想う……。
もし1945年4月13日に同席したスティムソンらが上司のワークスタイルを予め知っていたならば……。もしトルーマンが「読む人」だったならば……。もしホワイトハウスの閣僚がドラッカーを読んだら……。
“強みとはスキルの有無ではない。能力である。読めるかどうかが問題ではない。読み手であるか聞き手であるかが問題なのだ。それは右ききや左ききのように、変えにくいものである。(中略)ハリー・トルーマンは聞き手だった。”『非営利組織の経営』(1990)
それでも、われわれは未来を創るために、悲痛なる過去に向き合う一歩を踏み出さなければならない。
そんなわれわれに、「勇気を持ちなさい。あなたなら出来るはずだ」と、その優しい眼差しでそっと背中を押してくれる。— それが、ドラッカーなのだ。
あ、ちなみに、鬼塚自身は紛れもなく「聞き手」ですよ。