#070 人間ドラッカー博士の思い出(その4)
斉藤勝義(清流出版(株)出版部顧問)
開催までのプロセス
私は、1969年に The Age of Discontinuity(『断絶の時代』林雄二郎訳、ダイヤモンド社)が出版された以後のドラッカー博士の日本での講演会開催に、直接的・間接的に全て係ってきた。博士の来日講演会、セミナーなどの開催に漕ぎ着けるまでの時間は、約4~5ヶ月の日数がかかった。
博士の日々のスケジュールは世界各国からの訪問客への対応、コンサルティション、大学院での講義、マスコミとの会合、雑誌社からの原稿依頼、出版社との打合せ等で一杯。寝る暇もないのではと思われるほど多くの仕事をこなしておられた。そこで、私がある時 “Dr. Drucker, when do you go to bed?” と質問したことがあった。それに対して博士は “At night” とユーモラスに答えて笑い出した。それで私も、よく考えてみれば可笑しな質問をしたものだと自分でも笑ってしまった。多忙なスケジュールをかかえた博士は何時寝ることができるのかと尋ねたかったのだが…。
博士の日々のスケジュールと健康管理は、婦人のドリスさんが厳しく上手にやっておられた。ドリスさんが “No” と言われれば全てが “No” となった。このような事情を考えて、先ずドリスさんに電話をし、ドリスさんの都合を予め知った上でドラッカー博士に依頼をすれば早くまとまると知った。
小規模の企業内セミナー等を除いて、400~500名程の講演会開催には綿密な準備が必要であった。会場探し、交通に便利な場所の確保、ドラッカー博士とドリス夫人の宿泊ホテル(スイートか否か)の手配、講演後の訪問先への連絡、等々。
在日期間のスケジュール管理
博士の訪日を知った日本側からは色々な申込みが博士に直接届いた。「博士を家庭に招待したい」「夕方から4~5名で話を聞きたい」「どこそこを案内したい」等々。これらの申込について、博士は「滞在中のスケジュールは全てMr. Saitoに任せているので、Mr. Saitoに相談してほしい」と返事、博士自身は受諾せずに私の方へ面会申込依頼書を回送してくれた。
このように、ドラッカー博士は、契約期間中に例え時間が空いていても、自分勝手に動きまわる事はしなかった。誠実に義理堅く、決められたことを守ってくれたので、主催する立場からするとスケジュールの困難もなく成し遂げることができた。
某米国の経済学者は、空いている時間を、主催者側に何の連絡もなく、スケジュール以外の行動をする人もあった。
講演会の準備と広報活動
話を元に戻すと、私の方でドラッカー博士とのスケジュール調整をやっている間に、ダイヤモンドの書籍編集部は、団体顧客探し、参加者募集用紙(見本添付)作成、講演会当日の参加者への参考資料作りを進めた。これらは当時の書籍編集長で、現在ドラッカー学会の理事を勤めておられる藤島秀記氏、副編集長の岩持岑生氏らが中心になって準備を進められた。一方、販売本部は口コミでセミナー参加者を募ることに協力してくれた。『週刊ダイヤモンド』誌、『ハーバードビジネスレビュー』誌、その他のメディアもスペースを提供して協力してくれた。
このようにダイヤモンド社が一丸となってドラッカー博士の来日講演会開催に協力した結果、ほとんど全ての講演会は満員で大成功を収めることができた。
ドラッカー博士からは、手書きの講演内容アウトライン5~6行と、招待リストが送られてきた。博士はお世話になっている人々を必ず講演会に招待されており、そのための招待リストで、招待者の一番目には訳者の上田惇生さんが書き込まれていた。
講演の通訳者
講演の通訳は遂次より同時通訳方式を好まれた。しかし通訳者の選定はダイヤモンド社側に任された。小林薫、ティム芦田、原不二子、小松達也、村松増美、國弘正雄の各氏は、ドラッカー博士自身も熟知しており、馴染みの方々であったので、次の講演の通訳に馴染みの中の某氏がなると知らせると、博士は「ダイジョーブ、シンパイナイ」と電話で話したことがある。
ドラッカー博士も「前立腺」で悩んでいたこともあった。講演当日、講演が始まる10分位前に、一寸手を洗ってくるとドラッカー博士は言って部屋を出られ、5~6分過ぎても戻ってこないので、もしかして何かが起きたのではないかと不安になり男子トイレに行ってみたら、博士が未だ用を済ませていないようだったので ”Dr. Drucker” と声をかけたところ、「チョット マッテクダサイ」言って頑張っておられた。
その後、かけ足で私の所に来て ”prostate” と小さな声で言って “All men suffer sooner or later. Mr. Saito, you will soon know it.”と意味ありげにつぶやいた。私は “prostate” を “prostitute” と思ったので、変なことを博士は言うなと思った。もっと意味を聞こうと思ったが、講演が始まる時間だったので、その場はそのままにしておいた。
講演が大成功に終り、パーティーで軽食をし、ビールなどを飲んでホテルに帰る車の中で、私は “Dr. Drucker, you said you are prostitute.”それはどういう意味ですか、私には “prostitute” と聞こえたのですがと問うと、博士は “I said prostate” と言った。これは病気ではなく男なら誰でも一度は経験することであり、私は今それを経験して悩んでいる。医者に行けば一回のオペレーションで治る。私もクレアモントに帰ったら医者に行く予定である。Mr. Saito, お前もいずれ悩む日が来る。医者に行けばすぐ治してもらえるから心配しなくても良い」と勇気付けられた。