#029 「誇り」を胸に生きる道

鹿島晋(コンサルタント、実ドラ実践ナビゲーター、実践するマネジメント読書会ファシリテーター)

 

いつの頃からその答えを探していたのかは憶えていない。けれども、間もなく40歳を迎える私が、この人生の前半で探求し続けたのは、「何のために生きるのか?」の一言にすべてが集約されるように思う。

お受験ブーム、真っ盛りの時代に育った。ある子は幼稚園から、ある子は小学校3年生ごろから…。なんの前触れもなく突然、「受験戦争」へと出征して行った。伸びやかな笑顔が印象的だった子が、1年もすると、ぶ厚い眼鏡をかけた無表情な「真面目くん」へと変貌していった。その変わりように、子供ながらに違和感を憶えた。

良い学歴を残し、良い会社に就職することが、良い人生だとされた時代の、最終世代だった。しかしその「良い人生」を支えるはずの社会の方は、子供の目にも明らかに崩壊を始めていた。

就職したのは、ちょうど氷河期のクレバスの底の年だった。友人の中には、実際に100社受けても就職できない者もいた。苦労をして入社したのも束の間、こんどは目的を明らかに誤った「成果主義」によるマネジメントが全盛期の時代だった。

そこでは社会と組織のルールに、自らを適合させることが常識とされていた。それが「社会人」になることだと言われていた。

しかし、自らを組織に適合させていくさまは、子供の頃に見たあの景色と、どこか似ているように思えた。その道を選んだ人々は、どこか無気力な空気を纏っていた。

ドラッカーと出会ったのは、それからおよそ10年後。わたしは「断絶の時代」という社会の大変革期に生まれ育ったのだと知った。

『産業人の未来』(1942年)には、大量生産というコンセプトの登場によって、「財」のために「誇り」を犠牲にせざるを得なかった熟練工場労働者たちの苦悩が描かれている。

私が幼少期から見てきた景色もまた、人々が「財」のために「誇り」を犠牲にしていく物語だったのかもしれない。私は現代に、ドラッカーが75年前に見た景色の相似形を見たのだろう。

幸か不幸か、私は組織に自らを適合させることができなかった。しようと試みてはみたものの、途中で心を病んでしまった。残念ながら組織が求める「社会人」にはなれなかった。

おかげで随分と遠回りもしたけれど、「誇り」だけは失わずにすんだように思う。自分よがりの安っぽい「誇り」ではあるのだが、私にとってはそれが重要だったのだと、今なら分かる。マネジメントを学んだことで、私はようやく「誇り」と「成果」を統合できるようになった。

人間が生きるためには、確かに「財」は欠かせない。しかし、それだけでは人間は生きていることを実感できない。生存はしていても、生きているとは言えない。生きていることを実感し、豊かに生きるためには、「誇り」がなければならない。

生存のための「財」を生産するためのコンセプトは、昔も今も変わり続けている。そしていずれ、「財」を生産する活動のほとんどは、人間の手から離れていく。これからは「財」の生産という活動の重要性が、ますます下がっていく。仕事も働くという行為も変わらざるを得ない。

そんな新しい時代に、われわれはいかに生きるべきか?

私はこれからも、自らに問い続ける。

問いに対する答えは、人の数だけ無数にある。一人一人がその問いに自分なりの答えを見出し、それが現実の世界に反映されるとき、「断絶の時代」はようやく終わりを迎えるのではないかと思う。

  • ドラッカー学会 Drucker Workshop