#073 「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画ー『マネジメントの父』が愛した日本の美」展について(1)
松尾知子(千葉市美術館学芸係長)
ドラッカー没後10年にあたる本年、国内3美術館を巡回する展覧会「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」が実現した。初公開を含む作品111点が里帰りし、ゆかりの品々やコレクションをめぐる資料とともにご覧いただこうという初めての試みだ。現在、第一会場である千葉市美術館での展観を好評のうちに無事終了し、長野県信濃美術館の会期が始まったところである。本稿では、この展覧会を担当した学芸員として、その成り立ちや反響などについて触れながら内容をご紹介したいと思う。
*本展は、千葉美術館(2015年5月19日~6月28日)、長野県信濃美術館(7月11日~8月23日)、山口県立美術館(10月30日~12月6日)に開催されている。
企画のはじまり
ドラッカーが日本の古美術に関心があり、コレクションもしていたということは周知のことであっただろうか。とはいえこのことが紹介される機会は少なく、その内容も限定的なものであった。一般にはほとんど知られていなかったといってよいだろう。一方、日本では1986年 に「ドラッカー・コレクション水墨画名作展」があり、ドラッカー自身の命名による「山荘コレクション」の存在と、稀少な室町水墨画の数々は、美術関係者の記憶に残るものであった。だが、そのドラッカーが「あの」ドラッカーだとはあまり結びついてはいなかったし、そこが顧みられることもなかった。
本展は、千葉市美術館の河合正朝館長が、この約30年前の展覧会に関わり、以来晩年のドラッカーとのご縁も続いていたという関係から発案され、コレクションを共同名義で継承されていた四人のご子息の代表として、次女のセシリー・ドラッカーさんの格別のご理解とご協力を得て実現した。私共が初めて展覧会開催について打診したのは3年前で、海外展としては時間的猶予のない時期ではあったが、ドラッカーの没後10年と、千葉市美術館は開館20周年を迎えるこの2015年に照準が定まった。クレアモントのドラッカー家をおたずねしたとき、ドリス夫人は102歳でお元気であり、展覧会が実現したら見に行きたいと言って下さった。
セシリーさんがそのとき強調されたのは、これはPeter and Doris Drucker Collection、すなわち二人のコレクションなのだということである。そしてキャンパスの一角に保管されていたコレクションの大半を、休暇中の大学の教室を使うという限られた時間で一気に調査させていただいた。次々に掛け並べ拝見した掛軸はいずれも小さな渋い水墨画である。自宅書斎の壁にはピンが刺され、風竹図が掛けられていた。外はカリフォルニアの青い空。その対比が大変印象深かった。
二つの世界を結びつける展覧会に
そして、私がこのときから考えはじめたことは、前述のような二つの乖離した世界を結びつける展覧会にすべきであろうということであった。コレクションの道程を展覧会にドラッカーの日本美術との出会いは古く、第二次大戦前のロンドンにある。若き銀行員であった20代半ばの頃、雨宿りのため偶然迷い込んだ日本美術展を見て恋に落ちたのだと、何度も語られてきた。今回この有名な出会いのストーリーの裏付けも試みたが結局明確にはならなかった。
興味深いのはドラッカー自身も自分が見たものは何だったのか1970年代半ばに探ろうとしていたことだ。ともあれ、アメリカに移住後も日米開戦直後のワシントン勤務では昼休みにフリア・ギャラリーに通い、数々の作品を見ては「引き裂かれた狂気の世界」へ戻る英気を養ったのだという。ドリスさんがピーターの言葉として伝えていた「正気を取り戻し、世界への視野を正すために」日本美術を見るというのは、この辺りから発したと思われ、展覧会のキーワードとして強い訴求力になった。こうして日本美術への興味や好みの分野にも自覚的となっていたドラッカーが初来日したのが1959年。このとき京都で2点の作品を購入したのがコレクションの始まりだった。
今回、展覧会図録にお寄せいただいたセシリーさんの回想には、この最初の訪日のとき子供たちへのお土産として、着物や下駄などたくさんの「珍しいもの」を持ち帰ったとあって、大変和まされる。セシリーさんには会期中に講演もお願いしたが、長い質問タイムをお許しいただき、多くの関心に実に率直に明快に応えてくださった。如水宗淵《柳堤山水図》は、次いで1962年に東京で購入した作品の一つである。如水宗淵といえば、雪舟晩年の弟子で、有名な《破墨山水図》(国宝)を師から与えられたその人だ。霧に煙る湿潤な、詩情溢れる自然を描いたこの小さな掛軸を得られたとき、どれほど感激したことだろうと想像する。この作品が1962年という最初期の収集だと気づいたとき、それは私にとっては展示の構想が急に高まった瞬間だった。ドラッカーの目を追随することによって、絵の意味や役割が、新たに沁み出るように現れてくる。