#011 専制に代わるものとして生み出されたマネジメント

若山修(八百屋、コンサルタント)

 

グレイのスーツに長身を包み、おしゃれな帽子を頭に乗せて、穏やかな笑みで現れたのは上田惇生さん。数年前、勤めていたコンサルティング会社の会議室でのことでした。

同僚からドラッカーの勉強会なるものに誘われ、これまでビジネス本というものとほぼ縁のなかった私はためらいながらの参加でした。

その勉強会で上田さんが「最初に読むのにおすすめ」として紹介してくれたのが『傍観者の時代』でした。原題は「バイスタンダーの冒険」。自伝的小説のようでもあり、時代を象徴する群像を描いた連作小説のようでもあり、少年の成長物語のようでもあり、時代の大きなうねりを分析した評論のようでもある。

たちまち夢中になって読み進み、ハプスブルグ家の凋落と当時最先端の社会主義教養人たちの挫折、そして怪物ヘムシュの誕生前夜、ドラッカーがファシズムの荒れ狂う近未来のヨーロッパをビジョンとして目撃するに至る歴史語りに深いインパクトを受けました。

そして上田さんのお話はドラッカーの処女作『経済人の終わり』、第2作『産業人の未来』へ。

「ドラッカーの問題意識は最初に『産業社会は成り立つか?』だった。次に『その産業社会は人を幸せにするのか?』だった。なぜなら人を幸せにする産業社会が成り立たないかぎり、訪れるのはファシズムの嵐であるからだ。したがって、2つの問いに対する答えはイエスでなければならなかった。答えをイエスとするために発明されたもの、それがマネジメントだった」

私は23歳で小さな会社の経営に携わり、以来ずっとビジネスの世界に身をおきながら、どこかでビジネス界というものと一線を引いてしまう自分を感じていました。事業立ち上げも、人と組織の育成も楽しくて充実していたのに、それでもなんとなくここが自分のいるべき世界なのだろうかという違和感が消えることはありませんでした。

そんな私に、ドラッカーと上田さんがビジネスという世界の新しい一面を拓いてくださったのがこの瞬間でした。ビジネスの世界が社会や歴史と一続きのものであり、20年来にわたって関わってきたマネジメントという仕事が人類史上最大の悲劇に対抗し、専制に代わるものとして生み出されたものであったと知ったときの衝撃は忘れられません。

そのようにして、私は“ドラッカリアン”となりました。

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