#071 人間ドラッカー博士の思い出(その5)

斉藤勝義(清流出版(株)出版部顧問)

 

ドリス夫人とテニスの試合:3対3ドロウ

1970年の9月初旬ドラッカー博士宅を訪れたことがあった。ドラッカー博士とドリス夫人はコロラド州デンバーの別荘から帰ってこられて間もなくの頃で、お二人とも元気はつらつとしていた。特にドリスさん(当時59歳)は、テニスを十分に楽しまれたと見えて腕などはきつね色に日焼けしていた。

昼食の時も、デンバーで山登りをしたり、山の湧水を飲み過ぎてお腹を痛めて苦しんだこと、小さなセミナーを開いたことなどの話を聞きながら、ワインを一緒に飲んだ。私はすっかり話とワインで良い気持ちになって眠気がさしてきたころ、ドラッカー博士とドリスさんがひそひそ話をしており、「Mr. Saito, another glass of wine」と言って二人で代わり代わりにワインを私に勧めた。私は良い気になって飲み干してしまった。

ドラッカー博士が、「Mr. Saito, you play tennis well…」などと私を持ち上げられ、「I play tennis every Sunday, about 4-5 hours」などと意気がっていた。そして、ドラッカー博士が「Doris would like to play a tennis match with you this afternoon」と急に言い出し、ドリスさんはテニスの準備をしていた。

Play a match again, Mr. Saito

「今回は何にもテニスの用具は持って来ていない」と伝えたら、ドラッカー博士は「パンツは私のものを使い、靴はドリスに借りなさい。グラウンドはクレアモント大学が夏休みなので裏から入れば問題ない」と。当時、私は37歳で若くて元気があり、“売られた喧嘩は買わねばならぬ”という諺も思い出した。「ではやりましょう」と答えたものの、身支度した姿はさまにならなかった。

ドラッカー博士が私達を車に乗せ、校舎の裏手からテニスコートに入った。コートにはネットも張られており、直ぐラリーを始めた。ドリスさんは、オーソドックスに強く正確にボールを返してくるので、相当長い間やっているプレーヤーだと思った。ラリーが終わり、ドリスさんが「シングルマッチをやろう」と言い出したので始めた。ドリスさんは後方で球を打ってすぐ前方に出て来るので、最初はラブゲームで私の負けだった。私はドリスさんのプレイスタイルを見抜いたので、その逆の手段で勝とうと考えた。ドロップショットと、高くフライを使い、やっと勝つことが出来た。60歳近い女性にドロップショットはまずいとは思ったが…。2時間半ほどコートを走り回ったので二人とも疲れ果てて帰宅し、ドリスさんは「Mr. Saito is smart and good player」と一言云って寝室に入った。

その後のドリスさんの挨拶は、「Play a match again, Mr. Saito」であった。

『見えざる革命』

ドラッカー博士と二人きりになったので、私は「ドリスさんのテニスは非常に上手で正確に打ち込むので強いプレーヤーである」と褒めた。「ドリスは毎週友達とテニスを楽しんでいるので健康で、テニス以外の事は考えていないようだ」と博士は言っておられた。

では私たちはビジネスの話をしようと言って、「Invisible Revolutionの本を書こうと思っている。Aging Society現象が近い将来起こる。日本は、高度成長経済を楽しんでいるので、この話は考えていないように見える。ダイヤモンド社で出版するのは難しいと思うが、Mr. Saitoはどう思うか?」私は、突然聞かれ、「Aging Society」や「Aging Revolution」という言葉もピンと来なかった。

ドラッカー博士は「未だ原稿は出来上がってもいない。多分ダイヤモンド社では出版しないだろうが、若し他社が興味をしめしたら他社で出版されても構わない。とにかく原稿が出来上がり次第お前のところに最初に送るのでダイヤモンド社で最初に検討してもらいたい」と言ってくれた。

これが『見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃』の出版の切っ掛けであった。

 

 

 

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