はじめに

ドラッカーを形容する最もポピュラーな言い回しの一つに「マネジメントの父」というものがある。戦後の高度成長のプロモーター役を果たしたソニーやオムロン、イトーヨーカ堂、ダイエー、トヨタ、ファーストリテイリングといった企業が、ドラッカーの影響を受けていることはよく知られている。医師や看護師、理学療法士などでも、ドラッカーを愛読する方は少なくない。

一方、思想家としてのドラッカーを高く評価する声も後を絶たない。経済学者のケネス・ボールディングは「20世紀最大の思想家」と称したとされ、ドラッカーの訳者・編集者・研究者として著名な上田惇生氏は「ポストモダンの思想家」と呼ぶ。近年では「20世紀に身を置きながら21世紀を支配する思想家」とも形容される。

ドラッカーの世界は、ギリシア・ローマに発する人類の叡智を深い地下水から汲み上げ、同時に現実世界の太陽の光をいっぱいに受けて、青々とした葉を茂らせる一本の大樹を思わせる。本来、ドラッカーの関心事は文明社会の存続にあった。偉大なる発明とされる「マネジメント」さえ、“ドラッカーの樹”の果実の一つにすぎない。無数に伸びる枝には、マネジメントのほかにもたくさんの果実が実っている。

ドラッカーの知的アプローチとは、多様な論理をふまえつつ、知覚に重きを置き、さまざまな文化や芸術をも取り込むものである。なかでも、日本画が彼の美的知覚を根底から養っていたことはよく知られている。そのほかにも、ギリシア哲学の対話編にはじまり、シェイクスピア、ドストエフスキーやジェイン・オースティン、日本文学では紫式部から谷崎潤一郎まで愛読した。音楽への造詣も飛び抜けて深かった。

ドラッカーは現代のビジネスで役立つ実践的な道具の数々を残してくれた。その根元は深く人類社会の叡智の水脈にまでつながっている。広く役に立つのは、教養(リベラル・アーツ)によって培われているためである。リベラル・アーツはたんなる知識の集まりではない。それは人類の知的遺産を継承しながら、現実世界への卓越した実践的洞察をもうちに含むものである。

  • ドラッカー学会 Drucker Workshop