マネジメントの3つの役割
組織を使いこなすうえでの公理
マネジメントの役割について、ドラッカーが語ったことを要約すれば、次の3つである。
1)それぞれの組織に特有の社会的機能を全うする。本業を通じて社会に「貢献」する。
2)組織に関わる人々が「生産的」に働き、仕事を通じて「自己実現」できるようにする。
3)社会的責任を果たす。組織として最大の責任とは、「社会を害さない」ことである。
この3つは、組織を使いこなすうえでの公理ともいえるもので、企業、NPO、クラブ活動など、組織の形態を問わず共通原則と考えてよい。
本業を通じて社会に貢献する
企業をはじめとする組織は、「貢献」を条件に社会での存在を許される。社会から許されてはじめて、人材をはじめとするかけがえのない資源にアクセスできる。
ドラッカーは「貢献」について、「本業を通じて社会的に有用な存在であれ」と説くのみだった。あくまでも本業がそのまま貢献となりうる状態を、健全な組織の展開条件と見た。たとえば、新聞社なら正確な情報を適時に伝える、スーパーなら地域の人々の生活を支えるといった貢献があるはずである。
社会貢献などというと、ともすれば本業を越えた特別な活動を指すかのように錯覚してしまう。肩に力の入った活動である必要はない。それどころか、出過ぎた行動はかえって害悪になることさえある。
人という資源を生産的にする
「人こそ資源」「人財」とは、企業が好んで社是に掲げる言葉である。ドラッカーは、これとは異なる視点から、人という資源の重要性を説く。彼は、人を社会的存在と捉え、「社会なくして自らを実現できない存在」として人を見る。
社会の側から見れば、人がそれぞれの能力を発揮してくれなければ困る。一方、社会的存在としての人は、自らが能力を発揮して自己実現することを求める。いわば土壌と種子に似た関係である。
人の生産性を高めえない組織は、それだけで社会的貢献を怠っている。社会を構成する人々が活躍の場を手にできないと、人と社会の双方にとって悲劇である。かつて、失業が社会的病魔となってファシズムを生んでいったことからも、そのことがうかがえる。
ドラッカーの最晩年にインタビューしたジャーナリストのB・ローゼンステインは、「2つ以上の人生を同時に生きることが、知識労働者の必須条件」としたドラッカーの発言を紹介している。個人の知識や能力は、企業の占有物ではない。しかも高度な知識や能力ほど、社外でも生かしたほうが回り回って本業のためになることが少なくない。
社会的責任を果たす
ドラッカーは、マネジメントの根幹に「責任」を置く。では、組織として最大の責任とは何か。拍子抜けするほどに簡単で、「社会を害さない」ことである。
病院に行くと、診察室にヒポクラテスの誓いが貼ってあることがある。「どんなにわかりきったことでも、専門家に相談して対処せよ」とか「最低限、来訪したときより患者を悪い状態にして帰してはいけない」などといった文言だ。大昔のものながら、マネジメントに携わる者にとっての金言である。
企業をはじめとする組織の責任も、これと同様である。「飛び抜けた善行をしなくても、せめて社会を害することのないようにせよ」とドラッカーは言う。
企業の場合、社会に貢献できない、あるいは責任を果たしえないとなると、とたんに存続が危ぶまれる。まして世の中に害悪を与えようものなら大企業であろうと秒殺されるのは、しばしば私たちが目にするところである。
ドラッカーによれば、企業の発展は「社会的な器官」として機能しえたときに、その結果として可能となる。マネジメントの重要な視座であろう。