イノベーションと文明

IT革命に対する解釈

ドラッカーは知識社会の提唱者であり、ことのほか技術の果たす役割を重く見た。彼は著名な技術史家メルヴィン・クランツバーグとともに全米技術史学会を創設して初代会長に就任するなど、技術の専門家としての一面も持つ。

ドラッカーは、産業革命の主役は鉄道であったと断言する。そして現在、産業革命の鉄道に相当するものがインターネットである。インターネットの登場により最も影響を受ける分野は、IT産業そのものではない。

なかでも巨大なインパクトをはらむのが教育である。経済のように変化に俊敏に反応する分野とは異なり、教育が反応するのは緩慢である。しかし教育は、人と社会の中心を占める要因であり、新たな技術の恩恵により無限の可能性を秘めている。

15世紀半ば、グーテンベルクによる活版印刷の発明に始まった印刷革命は、教本を作って配布することを可能にして、教育のあり方を変えた。ドラッカーの友人で、日本でも一時もてはやされたメディア学者マーシャル・マクルーハンが最初に指摘したことであるが、ドラッカーはこれを敷衍して「ITが教育を変える」と言った。

英語のように反復学習が効果を持つものについては、すでに多様な手法が編み出されている。たとえば、フィリピンのセブ島にいる教師と日本にいる学生をSkypeでつないだ英会話スクールが伸びている。時差の少なさや物価の相違を上手に利用した事業モデルである。ドラッカーは言う。

「ITのおかげで、教師は、型にはまった学習、矯正のための学習、反復的な学習にその時間の大部分を投入しなくてもすむようになる」(『ポスト資本主義社会』)

 

印刷革命

ドラッカーの関心を捉えた技術のなかでも別格なのが、印刷技術とそれにより生まれた印刷本である。彼は、モダンの社会を印刷技術発明の結果であると見た。

近代社会では、知覚の働きよりも、精緻な分析や緻密な論理構成のほうが優れたものとされる。あるいは、具体的な事物よりも、認識の客観性や抽象的な理念・体系が価値ありとされる。それらの観念は、文字文化の普及の結果として立ち現れた副産物だった。ドラッカーは晩年の著作で次のように述べている。

「印刷業では長い間何も変化がなかった。16世紀初め以降19世紀にいたるまで、印刷業ではイノベーションといえるものは何もなかった」(『ネクスト・ソサエティ』)

印刷技術のすさまじさは、何世紀もの間さしたるイノベーションもなしに生き延びてきたところに表れている。1997年に行われた『タイム・ライフ』誌の調査では、西暦1000年から2000年までの1000年間で最も影響力を持った人物と技術として、グーテンベルクと印刷技術が第1位になっている。

地球村の到来

ドラッカーは、先のマクルーハンとの交流を通じて、「活版印刷が知識とすべきものを規定した」という事実を率直に受け入れ、それを自らの技術観の礎とした。

さらに、印刷本が教授法と表現法だけでなく教授内容まで変え、結果として近代大学を誕生させたということも、有力な仮説として認めている。『断絶の時代』には次のような表現がある。

「今日のグローバル経済は、映画、ラジオ、テレビという新しいメディアによってつくり出された一つのパーセプションである。(略)世界は、マーシャル・マクルーハンいうところの地球村となる」

ここでドラッカーは人間拡張の諸相としての技術に着目しているばかりか、その延長線上にあるマクルーハンの概念「地球村」の到来さえ、確かなものとして受け入れていた。

そして現在、その一つひとつは現実になっている。FacebookなどのSNSを「地球村」と呼ばずして、何と呼べばよいのか。

 

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