学びと「フィードバック」
学び方を知る
知識労働者は、学び続けることなくして自らを維持できない。ドラッカーは95歳で亡くなるまで学び続けた。彼は、学びの特性は多くが生得的であるととらえた。
聞くときに学ぶ人もいれば、読むときに学ぶ人もいる。
話しながら学ぶ人もいれば、書きながら学ぶ人もいる。
学びの場所にしても、自室の机が最も集中できるという人、図書館など人がいるところのほうが集中できるという人など、さまざまである。
学びに関するリズムやパターンは利き腕に似たもので、およそ変更不能である。自分に合った学び方は何かを知らなければならない。たとえば学生時代、どのような環境下で勉強がはかどっただろうか。
習慣という“第二のDNA”を意識化
学習をしっかり機能させるには、反復するしかない。それを肝に銘ずるべきだとドラッカーは言う。これは多くの人の経験的事実に合致するはずである。語学が典型である。反復せずして言語をマスターすることなどできない。
人間活動において、本人が意図することなく反復してしまうものが、習慣や癖といったものである。しばしば習慣は“第二のDNA”などと呼ばれ、ほぼ無意識のうちに日々の活動に影響を及ぼしている。
誰もがいちいち考えながら歯を磨いたり、顔を洗ったりしないように、日常の仕事のなかの動作についても、その多くは暗黙的に行われている。
ドラッカーは、そのような「無意識化された反復行動を意識し、体系的に行え」と言う。「フィードバック」の核心部分がここにある。
たとえば優れたバッターであっても、自分がどうしてヒットを量産できるのかをなかなか説明できないものだ。イギリスの経営思想家チャールズ・ハンディの本にも、同様の逸話がある。
ハンディが教える経営学のゼミ生として、ある著名企業で類い稀なる成功を収めてきたCEOが入ってきた。なぜ今さらと思い、ハンディは入学の理由を聞いてみた。答えは、「なぜ自分が成功したのか知りたかったから」だという。
反復は創造性の源
哲学者のカントは、毎朝同じ時間に起きて、同じところを同じペースで歩いたといわれる。町の人たちは、そんなカントの姿を見て時計の時刻を合わせたという。
同じことを繰り返すのはあきあきと思う人もいるだろう。だが、反復生活を甘く見てはいけない。
同じことを繰り返す人には、変化が見える。変化は、毎日同じことを行ってはじめて見えてくるのだ。昨日まであったものが今日はなかったり、昨日までなかったものが今日現れたりするのを感知するのに、反復にまさる方法はない。
変化を観察する際に欠かせないのが、書くことである。できれば、毎日書くことである。メモを書く習慣を持つ人は、脳をいくつか保有するに等しい。
ドラッカーもまた、四六時中ものを書く人だった。活躍する経営者や芸術家たちの多くは、自らの思考を書きとめる習慣を持っている。それは、複雑な世界と向き合うための方法である。変化とともに走りながらも、自分とだけ向き合うことのできる、精神的な場を用意すべきということである。
フィードバックは現物重視
現実にあって誰もが知るのが、表向きの理屈や平均値などに、さほどの意味がないことである。自分の頭脳の中のみでなされる自己完結的な情報の入出力のみでは、誤った思い込みが避けられない。
「フィードバック」は現物重視である。現物とは、すなわち生物(なまもの)である。その形象を五感で確認する機能を知覚という。
知覚は、ドラッカーが社会を理解する際の最も重要な手法の一つだった。現場に出向いていき、五感で現物を確認することが、「フィードバック」の中心に置かれるべきだとドラッカーはいう。