「顧客にとっての価値は何か」
顧客はみな合理的である
考えるほどに、「顧客」とはスフィンクスのごとき謎である。顧客のニーズはあまりに複雑であって、顧客本人しかそれを知らない。顧客自身もうすうす感じているのみで、明確に言語化できない場合もある。
それでもあえて、ドラッカーは「顧客はみな合理的である」ことを前提にせよという。
そこでいう「合理的」とは、客観的な合理性ではなく、「それぞれの内部的世界においては辻褄が合っている」という意味である。そうした観点においては、いかに不合理に見える顧客の行動も、首尾一貫した内的合理性を持つといえる。
とはいえ、それらはあくまでも顧客の内面で進行することであり、第三者が見て簡単にわかるはずはない。「私は顧客をよく知っている」などと自惚れて安易に答えを想像する姿勢を、ドラッカーは強く批判する。
「顧客を知らない」からスタート
「自分は顧客を知らない」からスタートすべきである。知らないのならば、言うべきことは一つしかない。「教えてください」である。
「顧客にとっての価値は何か」を知るための最も確実な方法は、顧客に答えを直接聞くことである。ドラッカー自身も大学教授やコンサルタントとして、自らの顧客に対して「聞くこと」を実践していた。
毎年、10年前の卒業生50~60人に電話をして話を聞いていたという。そして、「振り返ってみて、この大学院はあなたにどんな貢献ができたか」「今でも役に立っていることは何か」「どうしたら改善できると思うか」「私たちが止めるべきことは何か」といった質問をする。そこから得た情報ほど役立つものはなかったという。
プロでありながら非プロの目線を
ドラッカーはあえて、この第3の問いが「5つの質問」のなかで際立って重要であるとした。同時に、実践の難しい問いでもあるとした。それはなぜか。
非営利組織も企業も、プロフェッショナルからなる組織のはずである。プロたちはその分野に精通し、顧客の言動もよく見ている。しかし、そうしたプロとしての想像力が仇をなす場合があるのだ。
自らは顧客を知っているとしながらも、それはあくまでも「提供する側の目線」である。「顧客の目線」を獲得するというのは、演奏家が演奏しながら観客の目線を持つのと同様に難しい。「プロでありながら、非プロの目線を持て」という、ある面で矛盾した要請だからである。
もう一つ大切なのは、「顧客それぞれは、まったく異なる目線で組織を見ている」という事実である。たとえば学校であれば、教育委員会、現場の先生、父母会、市民などパートナーとしての顧客は、それぞれが見たいように学校を見ている。価値観もばらばらである。
これほどまでに難しい問いであり、安易に顧客になり代わって自ら答えようとするのは傲慢にすぎない。「顧客にとっての価値を知るには、顧客に耳を傾けよ」というのがドラッカーの一貫した助言である。