CSRとマネジメント

本業を通じて社会の課題に取り組む

ドラッカーは、事業の目的は「顧客の創造」にあると述べた。企業は、製品やサービスの提供を通じて「顧客の創造」を行う。「顧客」とは、いわば社会全体の代理人である。

90年代以降、CSR(企業の社会的責任)が産業界における重要なトピックになり、社会もそれに敏感になっている。その先覚者として、ドラッカーはある日本人の名を挙げた。実業家の渋沢栄一である。「日本人はもっと渋沢を研究すべきである」と、ドラッカーは渋沢を高く評価し、敬っていた。

「はるか前の時代のリーダーたちのほうが、企業の社会的責任を正面から捉えていた。日本の明治の渋沢栄一であり、第一次大戦前のドイツのヴァルター・ラーテナウだった」(『マネジメント』)

渋沢は明治期の金融や教育等の最重要インフラを一手に担い、いずれもが事業そのものが新しい社会への責任に応えるものばかりだった。それから100年を経た現在でさえ、渋沢がつくった組織の多くが金融システムをはじめとして機能し続けているのがその証拠である。

ラーテナウは20世紀前半に活躍した実業家である。エジソンの特許を得た父の事業を継承し、AEGという事業会社を通してドイツ全土の電化に貢献した人物だった。ラーテナウは事業家としてのみでなく、政治家としても頭角を現し、第一次大戦敗戦後のドイツの産業組織化に巨大な手腕を振るっている。

渋沢とラーテナウの事業活動はともに、そのまま社会課題の解決へとつながっている。事業活動そのものが社会からの要請に応えるものだった。

社会に対するインパクトをなくす

一般的にCSRというと、「社会に対して善をなす活動」を想像する向きがある。実際に各社のCSRレポートを見ると、社員によるボランティア活動などが展開されているのが普通である。

一方、ドラッカーが強調するのは「社会に対するインパクトをなくす。できればゼロにする」ことである。良い悪いにかかわらず、企業活動が社会を変えてしまわないように配慮しなければならない。

というのは、良いか悪いかを判断するのは企業ではなく、顧客や社会のほうだからである。良き意図によって着手され、結果として悪い結果を生む事業も存在する。また、良いか悪いかを判断しようがないものもある。

たとえば、ある地域に企業の巨大工場があり、そこで地元の人々の多くが働き、生計の資を得ていた。ところが、その工場は離れたところに移転することになった。もし移転したら、地域社会が成り立たなくなる……。企業活動における善悪判定は簡単ではない。

自らの組織が、社会に対してどのようなインパクトを与えているのか。それを自覚することが肝心である。社会には社会の論理があり、それを一企業の論理によって害してはならない。それこそが、ドラッカーのCSRの根本命題だった。

良い悪いにかかわらず社会を変えてはいけないなら、社会の課題に取り組むこともいけないのではないか……。そう考えるのは誤りである。あくまでも双方の視点を持つことが重要であるということだ。

ドラッカーのCSRは、人に考えることを強いる。葛藤することを強いる。葛藤のないところに真の思考はなく、真の成長はない。

 

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