「不合理な顧客」は存在しない

顧客の知性を高く見積もる

「この世界には不合理な顧客などというものは存在しない」。これはドラッカーのマーケティング論における重要な教訓である。顧客が不合理だと思うのは、企業側の勝手な解釈にすぎない。

「顧客は合理的である。顧客が不合理であると考えることは危険である。それは、顧客の合理性がメーカーの合理性と同じであると考えたり、あるいは、同じでなければならないと考えたりするのと同じように、危険である」(『イノベーションと企業家精神』)

加えて、顧客がいつも単一の尺度でしか動かないと考えるのも、非現実的である。消費行動に関するシミュレーションなど、企業側が勝手に“捏造”した尺度であるにもかかわらず、それに基づいた行動をとらない相手を責めるのは馬鹿げている。

相手の知性は高く見積もらなければならない。有能な参謀は、敵国の知性や情報収集能力が自国より高いものと想定する。優れた棋士も同じである。

逆向きに遡って推理する能力

ときに顧客はまったくの謎である。どうしてそのような行動をとったのかは、本人にさえわからない。そこで念頭に置いておくと便利な考え方がある。コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズのシリーズの最初の作品『緋色の研究』からの一節である。

「奇異な事柄はつねに推理の妨げどころか手がかりになってくれる。(略)もっとも肝心なのは、逆向きに遡って推理する能力だ。これは大いに役立つうえ、すこぶる簡単に身につく術でもあるんだが、一般にはあまり活用されていない。日常の出来事は推理を前に向かって進めるほうがなにかと便利だから、後戻りすることはおろそかにされがちなんだ。割合にすると、総合的に推理できる者が五十人いるとすれば、分析的に推理できる者はたった一人しかいない」

たとえば、商店街がさびれてシャッターを下ろす店が増えているのを見て、さらなる下火を想像するのはたやすい。「現在の状況が未来にどう変わるか」という思考法は、誰もが自然にしている。

一方で、「現在から過去に遡る」思考法にたどりつく人は少ない。たとえば「現在に至るまでのある過去の時点で、どうしてここに商店街が形成されたのか」という問いである。これがホームズのいう分析的思考である。

このように、遡って考えるときに直面する「わからないこと」や「理解できないこと」は、思考のヒントになることが少なくない。それらは、「そこに何かが存在すること」を暗示しているからだ。つまり「わからないこと」や「理解できないこと」は、障害であるどころか理解に至る近道になりうる。ドラッカーは言う。

「顧客の、不合理に見える側面を尊重しなければならない。不合理に見えるものを合理的なものとしている顧客の現実を見ることこそ、事業を市場や顧客の観点から見るためのもっとも有効なアプローチである。これこそ、市場に焦点を合わせた行動をとるためのもっとも容易なアプローチである」(『創造する経営者』)

答えを想像してはならない

「顧客の不合理性」に対するもっとも確実な行動は、「現場を見る」ことである。さらには現場で「顧客に直接聞く」ことである。

かつてキッコーマンがアメリカに進出した際、現地の販社と組んで消費者の嗜好を把握した。その後に幹部数名を現地に派遣して、スーパーなどでのテスト販売を繰り返し、実需を確認していったという。今では、キッコーマンはアメリカの会社と間違われるほど市場に深く根づいている。ドラッカーは言う。

「ここで原則は、顧客は皆合理的であるとすることである。ほとんど例外なく、彼らの行動は合理的である。したがって、答えを想像しようとしてはならない。必ず、直接答えを得なければならない」

ホームズも現場を見るまでは、いっさいの仮説を立てなかった。自らの仮説に自分自身が取り込まれてしまい、結果として遠回りしてしまうからである。

 

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