マーケティングの理想とは
事業の目的は顧客の創造
ドラッカーの偉業の一つは、事業の目的を「顧客の創造」としたところにある。彼が語るとき、「顧客という存在を最も理解すべき」とする言葉が、最初から最後まで重奏低音のように鳴り響く。
現在の常識はかつての非常識であった。社会主義時代のソ連、軍国主義時代の日本で、「顧客のために」などという発想があっただろうか。戦後しばらく経っても、顧客の概念など存在しないような乱暴な店員を日常的に目にしたものだ。顧客中心の発想が定着したのは、さほど昔のことではない。
なぜ、あなたの会社の商品が買われているのか。それを顧客が知っている。顧客こそが、あなたの会社の核となる知識を授けてくれる存在なのだ。逆にいえば、企業は顧客のニーズに寄り添わなければ、発展はおろか存続さえできない。
「わがままなお客さんばかり」「クレームが多くてたいへん」とうんざりしている方もいるだろう。だが、独裁者が威張っている世の中に比べたら、だいぶまともではないだろうか。顧客を中心とする社会こそ、自由で創造的な社会にほかならない。
販売活動を不要にすることが理想
「マーケティングの理想は、販売活動を不要にすることである」
ドラッカーにこんな一節がある。「顧客の創造」の本質を語る至言である。では、顧客に対するときに最も大切なことは何だろうか。
「観察すること」である。顧客の目に映っているものを観察することが、顧客の期待や望むものを探る第一歩であり、コミュニケーションの源となる。それを意識的に行うことが重要である。
ドラッカーは「見る人」だった。「観察すること」を自らの存在理由としたほどである。彼は次の2つのポイントを重視していた。
一つは、「観察はひとつの仕事なのだ」と意識することである。予想に反して、観察は簡単な仕事ではない。というのも、人は「見たつもりになっているだけ」のことがあまりに多い。顧客が「何を求めているか」「何を価値あるものと考えているか」を見つけ出すことが観察である。
たとえば、顧客は「いかに購入するか」という視点で観察してみるといい。「いかに」を観察するのである。顧客が購買にいたるまで、あるいは購買してからの動きなどに着眼する。
自動車メーカーのホンダが、アメリカで成功した事例がある。ホンダは自動車の試乗に訪れる顧客を、「いかに購入するか」という視点で丹念に観察していった。その結果、わかったことがある。来店して試乗するのは主に男性だが、奥さんが「この色は嫌い」「この形がいい」というように、試乗以前の問題について発言権を持っているということだ。
このことは、まず女性に選ばれるものにしなければならないことを意味する。観察しなければ見えてこなかった事実だった。
二つ目は、アウトサイドの目線を持ちながら、インサイドに入っていくことである。ドラッカーはそれを「アウトサイド・イン」と呼んだ。作家の村上春樹は、それを「他人の靴に足を入れてみること」と表現している。
「アウトサイド・イン」は緊張を伴いながらも、質の高い観察を生む。質の高い観察は、質の高いコミュニケーションの源となる。