マネジメントの原点

現場の知としてのマネジメント

マネジメントにおける原点の書は、『企業とは何か』である。1946年に公刊された、GM(ゼネラル・モーターズ)の内部調査をもとにした書物である。ここでドラッカーが述べたポイントが3つある。

1)「マネジメントに絶対はない」
2)「社員が現場を知っている」
3)「企業は社会のことを考えよ」

いずれも現代に通じる原点的考察であって、なかなかに意味深長である。

ドラッカーは、現場に重きを置く。肩書きの一つに大学教授はあったけれども、書斎の人ではなかった。コンサルティングを通して企業の現場に分け入っていくことで、現実世界で何が起こっているかを私たちにありありと見せてくれた。

「マネジメントに絶対はない」

「あらゆるものは陳腐化する」とドラッカーは考える。社会も文明も、陳腐化に逆らうことはできない。陳腐化したものは処理しなければ、新たな活動に支障をきたす。人体で細胞が絶え間なく老化し排出されるのに似ている。

ドラッカーはマネジメントというものを、 “生命に形式を与える活動”と捉えていたふしがある。言うなれば、組織という樹木を最大限にいきいきと繁栄させる方法論である。生命ほど多様なものはない。マネジメントは生きものを扱うのであって、その意味で、変化していくものについての知識である。

バブル時代に成功した手法が、デフレ時代にそのまま適用できるとは考えづらい。同じ組織でさえ、成長に伴って規模や特性が変われば、適切な手法は異なるはずだ。まずもってそのことを認識せよというのが、ドラッカーの主張である。

人は変わらざる真理や万能薬を求めがちであるが、ドラッカーはそのような知的姿勢に批判的だった。彼の大発見であるマネジメントさえ、一つの考え方であり、思考の補助線にすぎないのである。

「社員が現場を知っている」

戦前戦後の経営者は、「やる気も主体性もない社員をいかにして働かせるか」という問題に腐心してきたといっても過言ではない。だが、そうした考え方は、ドラッカーが観察した現場の真実に反していた。

現場の人々は仕事を知っていた。経営者よりはるかに知っていた。知っているばかりではない。仕事のことを深く考え、思いを寄せていた。

ならば、経営者としてなすべきことは簡単である。現場に聞くことである。この「聞く」というシンプルな行為がいかに重要であるかを、ドラッカーは強調してやまない。役員会でいくら議論しても、わからないものはわからない。だが、現場に聞けば、あっけなくわかってしまうことが少なくない。

ここで一つのエピソードを紹介する。ドラッカーの趣味は山歩きだった。来日したときにも、富士山をはじめ各地の山々を登ったという。彼の1950年代後半の経営者セミナーが箱根で行われたのは、たぶん彼の山好きが関係しているだろう。新幹線に乗るときも、富士山が見えてくると子どものように喜んだという。

山頂からしか見えない景色というものがある。一方で、山頂からは絶対に見えない景色もある。今見えているものは、全体のごく一部に過ぎない。経営者は自分の手にした視野がすべてだと錯覚しがちだが、見えていないものが、それこそ山ほどあることに気づかなければならない。

「常に見えない部分が存在する、そこに意識を向けよ」。マネジメントに携わる者への重要なメッセージの一つである。たいていの人は、上に行くほど見えるようになると勘違いする。じつは、上に行くほど見えなくなっているものもある。

「企業は社会のことを考えよ」

第3のポイントは、「企業は社会のことを考えよ」というものである。近年は「CSR」などと呼ばれ、「企業の社会的責任」と訳されるが、ドラッカーは単に「責任」といった。

これについては、ドラッカーは必ずしも先覚者ではない。たとえば近代日本の実業家にして「論語と算盤」で著名な渋沢栄一は、この社会的責任を明治初期から企業の機能に織り込んでいた。

人はうっかりすれば、自分が身を置く世界が全世界であると錯覚してしまう。仮に巨大企業が「世界には自分しか存在しない」などと思おうものなら、社会的脅威以外の何者でもなくなる。企業とは、巨大な権力を手中に収めながらも、社会によって生かされている存在である。いくら大きくても、社会という大海の一滴に過ぎない。

ドラッカーが述べたのは、大仰なことではない。「あくまでも本業を傷つけることなく、社会に貢献できるならば貢献せよ」というものだ。積極的によいことをしなくても、せめて大海の一滴であることを自覚してほしいという切実な願いである。

 

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