社会的責任
社会に対するインパクトをなくする。できればゼロにする
ドラッカーの社会的責任とは、「社会に対するインパクトをなくする。できればゼロにする」ことである。
こう聞くと、疑問に思われるかもしれない。「インパクトをゼロ? 確かに汚染物質を排出するとか、近隣の渋滞を起こすとか、悪いインパクトをゼロにするのは当然だけれど、いいことならしてもいいんでしょ?」
そうではない。いいことも悪いことも含めて社会に対するインパクトを可能な限り少なくしなければならない。理想を言えばゼロにしなければならないとドラッカーは言う。企業活動が社会を変えてしまわないようにしなければならない。
時にCSRというと、何か特別な良き価値を社会に対して与えるかのような活動を想像する向きもなくはない。実際に各社のCSRレポートなどを見ると、多くは巻末などで、社員によるボランティア活動や、出前授業がカラフルに展開されているのがふつうである。
もちろん、社会に対して善をなそうとする意志が悪いということではない。だが、そもそも善のみをなすなど限りある存在としての企業にとって不可能である。
あるのは「インパクト」だけ
たとえば、知人が住む土地に、ある企業の巨大工場があった。地元の人々の多くがその工場で働き、生計の資を得ていた。だが、工場がかなり離れたところに移転することになった。もちろん、地元の人々は困る。そもそもが、地元の経済の大半を回していたのはよい。その工場が何かの理由で移転したら、地域社会が成り立たなくなる。果たして社会的責任の理念にかなうのか。
移転が悪いと言っているのではない。企業活動における善悪判定は簡単ではないと言いたいのだ。実は企業を含むあらゆる組織にとって、良いインパクトも悪いインパクトもない。あるのは「インパクト」だけである。
というのは、良いか悪いかを判断するのは企業ではない。顧客や社会のほうである。世の中には良き意図によって着手されて結果として最悪の結果を生む事業というものが存在する一方で、動機は不純であっても結果として都合の良い成果を生む事業もある。