利益

生命体存続の条件

「利益」についてのドラッカーの解釈は、いささか独特である。利益とは、企業が社会的存在として明日も意味ある活動をするための「条件」あるいは「手段」であるという。

ラディカルな見解のようで、考えてみれば至極まともである。たとえば「呼吸」は人間にとってかけがえのない機能ながら、「呼吸」のために人間が生きているわけではないのと同じ理屈である。

彼は「そもそも利潤動機というものは存在しない」とさえいう。それは「18世紀の経済学者が概念中心に世界を構造化する必要が生じた結果、捏造された一つのフィクションである」と見る。

「利益」が社会の中心に出てきたのは、せいぜいここ300年ほどのことである。それ以前は、そのようなものなしに社会はきちんと機能していた。貨幣さえない社会も存在した。金のために人生を賭けるなどという価値観は、人間本来の姿に裏打ちされたものではない。

利益の持つ意味

働く人たちは、何のために働くのか。経営する人たちは、何のために経営するのか。生活のため、従業員のためというのはあるにしても、利益自体のためという人はいないだろう。彼らの場合も、何らかの「目的」があり、そのための「手段」としての利益の追求であるはずだ。

では、利益が企業の「手段」に過ぎないとして、企業の「目的」とは何か。それは「顧客の創造」であるとドラッカーはいう。「顧客」とは「消費者」に限らない。この世界に関わる人すべてが顧客たりうる。

企業の目的を「顧客の創造」と定めるとき、利益の存在理由がくっきりと見えてくる。利益は、企業が社会的に機能しているかを測る尺度になるのだ。

利益が出ているということは、社会にある資源の組織化に成功し、「顧客の創造」を遂行している証左である。利益が出れば企業は存続できるが、利益が出なければ倒産せざるをえない。これは、人材をはじめとする貴重な資源を生かしきれなかったことを意味する。

一つ疑問が生じるかもしれない。「利益さえ出せれば、つまり顧客さえ創造できれば、万事何の問題もないのか」という問いである。

結論をいえば、「NO」である。そんな即物的な考え方は、ドラッカーがもっとも嫌うものだった。彼の考えに徴すれば、利益が出るとは企業活動存続の必要条件ではあるが、十分条件ではない。

プロの倫理と責任

プロの仕事には、倫理と責任が伴う。その双方がなければ、いかに顧客を創造して利益をあげても、かえって世を損なう場合がある。そんな企業ほど世間では褒めそやされることが少なくないが、危険な徴候と言わざるをえない。

「プロたるものは、権限以上に責任に反応すべき存在である」とドラッカーは考える。プロには権限とともに厳しい責任があり、それらは一枚のコインの裏表の関係だ。たしかに利益があがれば、企業活動存続についての権限が与えられる。しかし同時に、その質について責任を負っているのである。

いくら儲かるからといって、不正を働いて儲けたのでは、世の中を損なう。不正とは、何も法律に反することだけではない。社会の価値観、慣習、常識など、重要な基準はいくらでもある。

過剰な貪欲、そしてプロの倫理の劣化ほど、世界を損なうものはない。そんなプロの倫理を奨励する風土が、世界から消失しつつある。ドラッカーは晩年まで、そんな暴走を気にかけていた。

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