真摯さ

真摯さとは何か

ドラッカーの常套的手法の一つは“問いかけ”だった。ギムナジウム(高等学校)時代の恩師フリーグラー牧師に教わったこの手法を、彼は「過去の囚人となることなく、成長することを可能にしてくれた経験」の一つに数えている。

ドラッカーは、「真摯さとは何か」という一つのシンプルな問いを通して、マネジメントのバックボーンを説明しようとした。その問いが、目の前の雑務にとらわれがちな視線を少しだけ上げてくれる。彼は1958年の日本での講演で、次のように述べた。

「私が初めて社会に出て仕事を持つようになったころから、一貫して世の中は暗く、そして陰惨たる場所だった。破局の不安がつきまとい、その多くは実現した。もっとも悲観的な予測さえ、時には楽観的過ぎた。しかしそれにもかかわらず、われわれが生き延びられたのは、重要な仕事についている人々が働き続けたからに違いない。明後日に対する希望までをも失ってしまうことはなかった。それというのも、ときどき目を上げて水平線のかなたを仰ぐことができたからだと思う」

「真摯さ」の原語は“integrity”である。ドラッカーは1946年の『企業とは何か』で、それを「組織における人間についてなくてはならない資質」とした。一義的に確定するのは難しいが、おおむね「裏表のなさ」「精神的一貫性」といったものを指す。わかりやすくいうと、「清廉潔白で、卑怯なことをしない」といった意味である。

精神的尺度の大切さ

人も組織も社会も、ドラッカーの世界観にあってはみな生成発展する生き物である。組織が長期にわたって繁栄を続けるには、組織内の人間が生涯にわたって成長できなければならない。そのための「根」の部分にあたるのが「真摯さ」である。

組織は人の集まりである。一人として同じ顔がないように、一つとして同じ組織はない。驚倒するほどに多様性に満ちている。とはいえ、多様のなかに一貫したものが確かに存在する。

不思議なことに、誰が見ても、老若男女問わず、美しいと感知されるものがある。アジア、欧州、アフリカ……世界中のどこに行っても変わることのない精神的尺度がある。真摯さとは、そういうものである。真摯さなくして経営を行うことはできないし、社会を維持発展させることもできない。

「真摯さ」は、自らのものであって、自らのものではない。生み出された時点では自らのものであっても、社会的なもう一つの意味が与えられたとき、いわば公的なものとなる。「世のため人のためのもの」となる。

逆の例として挙げられるのが、ゲーテの『ファウスト』の主人公である。知識のために悪魔メフィストフェレスに魂を売った、社会を捨て、社会的な位置と役割を失った者の物語である。

ドラッカーはきわめて重要な警告として次のように述べる。「金を得るために、妥協してはならない。品位にもとる機会は、拒否しなければならない。さもなければ、魂を売ることになる」。今を生きる者にも深く響く言葉だろう。

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