意思決定

見解からスタートせよ

初めから調和的で美しいものには「とげ」がある。ドラッカーが関心を寄せたのは、頭の中だけでつくられた思想や観念ではなく、眼で見取られた現実である。彼は意思決定に際して、こう助言する。

「見解からスタートせよ」(『経営者の条件』)

たとえば「雨が降る」という自然現象は、見る人によっては、単に雲から無数の水滴が落ちるということ以上の意味を持つ。漱石の小説に、雨の日には来客を拒絶する紳士の話が出てくるが、彼にとって雨の日は亡くした子どもを思い出させた。

ドラッカーは、「無人の森で木が倒れても音はしない」という。音波が発生しただけである。この考え方が彼のコミュニケーション論の基本である。

思考の方法や内容について、人には個性、習性、癖がある。同じ対象物であっても、人によって見え方はまったく違うのである。

人は日常的にさまざまな情報に触れる。そのなかで現実として受け入れるのは、自身の経験や価値観、嗜好などと「合致するもの」である。現実そのものを直接つかみとるというよりは、自らが好み、理解できるもののみを現実として受け入れる。そのため、人によって異なる見解が形成されることになるのだ。

それゆえ意思決定に際しては、会議の席でさまざまな見解が噴出するのがあるべき形である。ここで認識すべきは、「見解とは、客観性を持たない仮説に過ぎない」ということだ。見解の基礎となっているのは、あくまでも“当人に見えたもの”に過ぎない。

全会一致を警戒する

ドラッカーはこうも述べている。

「何事についても、選択肢すべてについて検討を加えないならば、視野は閉ざされたままとなる。成果をあげるエグゼクティブが、意思決定の教科書に出てくるような原則を無視して、意見の一致ではなく、意見の不一致や相違を生み出そうとするのは、このためである」(『経営者の条件』)

よく知られた話がある。GM(ゼネラル・モーターズ)のCEOアルフレッド・スローンの意思決定に関する逸話である。

「スローンは、GMの最高レベルの会議では、『それではこの決定に関しては、意見が完全に一致していると了解してよろしいか』と聞き、出席者全員がうなずくときには、『それでは、この問題について、異なる見解を引き出し、この決定がいかなる意味をもつかについて、もっと理解するための時間が必要と思われるので、検討を次回まで延期することを提案したい』といったそうである」(『経営者の条件』)

事実スローンは、全会一致を極度に警戒し、危険なものと見なした。対立意見が一つも出ない場面では、無条件に意思決定を延期したという。

すべてを知ることが不可能であり、かつそれぞれが自身の経験や価値観、嗜好などに縛られた存在であるならば、選択肢は多ければ多いほどよい。見解の不一致は、自らの見ていない現実を見る好機となる。さらには、多様な現実にあえて目を向ける重要な契機ともなる。

相対的に機能する意思決定

スローンも言うように、よい意思決定と満場一致は原理的に相反する。

ドラッカーが探し求めたものとは、“不滅の真理”ではなかった。不完全な人間社会で「機能する」意思決定だった。そもそも人間の認識能力は完全ではありえず、これが絶対的な正解だという意思決定は行いえない。

相反する意見の衝突、異なる視点からの対話などがあってこそ、検討すべき選択肢が提示され、機能する意思決定を行うための条件が整う。

「見解からスタートせよ」とは、そのための手法である。「意見の不一致が存在しないときには、意思決定を行うべきではない」という手法も、ここから導き出されることになる。

みなが同じ見解を表明するならば、それは何かが病み歪んでいることの現れかもしれない。会社であれば、個が抑圧され意見が出しづらい環境なのかもしれないし、経営者の取り巻きが幅を利かせているのかもしれない。

旧ソ連では、国民の90%以上が投票で同一の党幹部を支持していた。圧倒的多数による支持は、根源的歪みを想像させる。選択肢のないところに意思決定の必要性はない。

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