強み
「強み」とは何か
「強み」とは、ドラッカーにおいて頻出する表現の一つであり、単に得意というより、ほとんど生物的に持っている卓越の源のことを指す。彼によると、人の「強み」は仕事に就くはるか前に形成されているという。いわば一人ひとりにとっての“与件”のようなものである。
組織の機能の重要な一つが、個々の「強み」を発見し、それを活動の礎に据え、そこに集中することで成果をあげていくことだ。組織の妙味は、一人ひとりの「弱み」を意味のないものにできることである。
自らの「強み」は、いったい何なのか。それを知るための方法として、ドラッカーは「フィードバック分析」なるものを推奨している。何かに取り組む際に、期待する成果をあらかじめ書きとめておき、後でそれを実際の成果と照合する。これにより、成果という尺度によって、自分自身を知ることができるというものだ。
そしてもう一つ、自らの「強み」を知るためのさらに簡単な方法を、ドラッカーは教えてくれる。「人に聞くこと」である。顧客、上司、部下、同僚など仕事の関係者だけでなく、家族や友人なども含め、さまざまな立場の人に聞くことである。
意識して「強み」しか見ない
ドラッカーは、「あるがままに見よ」という。とくに組織のリーダーは「強み」という価値を自らの世界観の中核に据え、対象をよく観察し、それをつかみ取ることが求められる。
優れた映画監督は、出演する俳優の弱い部分や醜い部分に着目しない。作品にとって意味をなさないからである。繊細な観察眼によって、凡庸な役者からも優れた部分をつかみ取り、それを画面いっぱいに描き出す。
オーケストラの指揮者にも同じことがいえる。優れた指揮者は各奏者の最良のパフォーマンスを引き出し、一つの音楽的ピークにまで引き上げる。
共通するのは、対象の「強みしか見ない」とするリーダーの断固たる決意である。
価値観と「強み」が衝突したとき
自らの「強み」がわかったとしても、自身の価値観と合わないときが問題である。価値観に合わないことをしていても、世の中に貢献しているという実感は湧かない。
そのときは、「価値ありとするほうを優先すべきである」とドラッカーは助言する。
組織にも、一人ひとりの個人にも、それぞれの価値観がある。成果をあげるには、個人の価値観が組織の価値観になじまなければならない。まったく同じではなくとも、せめて共存しうるものでなれば、心楽しまず、成果もあがらないだろう。
ドラッカー自身も若い頃、得意で成功していたことと、自らの価値観との相違に悩んだことがあるという。1930年代の半ば、彼はロンドンのマーチャントバンクに勤めており、一見すると順風満帆だった。「強み」を存分に発揮していたように見えた。
しかしドラッカーは、世の中に貢献しているという実感が湧かなかったようだ。あるとき彼はケインズの授業を聴講し、そこで自分の関心はお金ではなく「人」にあることに気づいたという。彼は仕事を退職してアメリカへ渡り、その後の人生を切り開いていった。
「選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである。多元社会は一人ひとりの人間に対し、自分は何か、何をしたらよいか、自分を使って何をしたいかを問うことを求める。この問いは就職上の選択の問題に見えながら、実は自らの実存にかかわる問題である」(『断絶の時代』)
自己実現を考える人への至言である。