“物見の役”として

現代のリュンケウス

ドラッカーが青年時代に在籍したフランクフルト大学の正式名称は、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学という。フランクフルト市がゲーテの出生地であることにちなんでいる。キャンパスに入ると正面の中央棟が美しく、ゲーテの横顔がシルエット状に刻印されている。

ドラッカーにとって、ゲーテは強い愛着を伴う文学者である。ゲーテがほぼ一生をかけて完成させた『ファウスト』(ファウスト伝説に基づく劇詩)は、ドラッカーが愛してやまない作品の一つだ。

とくにドラッカーは、リュンケウス(『ファウスト』第二部に登場する望楼守)に自らの役割を投影した。リュンケウスは、劇のクライマックスの直前に塔の物見の役として登場し、こう自己紹介する。

「Born to see, meant to look.(見るために生れ、物見の役を仰せつけられ)」

リュンケウスは、他の者に見えないものを見る。見ることによって境界を守護する者である。あちらで何かが起こっている、何かが攻めてくる、何か異変がある。境界にあって、状況を見て、人に知らせるのが彼の仕事である。その視覚は、距離も障壁もやすやすと乗り越える。異国の家の引き出しのなかまで見てしまう。

ドラッカーは、自分は“現代のリュンケウス”でありたいという。変化を見て、伝える。物見の役である。

あるがままに見る

ドラッカーにとってのヒーローだったゲーテは、行政官としても自然科学者としてもずば抜けていた。ゲーテは動植物の形態、そして色彩の研究でも、一流の業績を残している。ゲーテの観察方法の根底には、「事物の本質は形に表れる」との信念があった。

ものごとをありのままに見るということは、形や色彩を見るということだ。因果ではなく、形相の探求である。あまりに多くの因果が存在するために、特定の因果に着目することは、かえって本質の理解を妨げる。

自然生態学者が植物や動物、気候、地勢などを観察する際、理論上こうあるべきという決めつけはしない。サイの牙はこう生えるべきといっても無意味である。自然においては、現実のほうが理論よりも先に存在し、独自の力学と論理で生成していく。

ドラッカーも同じである。頭の中で閉じた思考をもてあそぶのではなく、人や組織や社会をありのままに観察する。

世の中には一人として同じ人はいない。組織や社会も同じものなど一つとしてない。一つひとつが特有の力学と論理を持ち、しかも時とともに変容していく。それをふまえたうえで、人や組織や社会の形態を虚心坦懐に観察する。それがドラッカーの仕事だった。

コンサルタントとして

ドラッカーは何よりも現実を見た。そこから考え抜くという仕事に入る。見て、考え、解釈する。

まずは、コンサルタントとして現場に入っていくことから始まる。経営の現場で実務家や経営者の話に耳を傾け、何が進行しているかをありのままに見る。現場で得た情報は、固有名を伏せたうえで、大学の教室で議論の題材とする。

ニューヨーク大学で教鞭を執っていたとき、受講生の多くは社会人で、現役の経営者もいた。ドラッカーにとって、大学とはフィードバックの場であり、思考と実践との間の相互作用を期待していた。自らの目で見たものはいかなる意味を持ち、いかなることを示唆するのか。

ドラッカーは経営現場で得たものを、多くの人々とのやりとりのなかで何度も鍛え上げていった。その結果を論文にまとめて、雑誌や新聞に掲載し、そのつどプロの編集者や専門家の意見を徴しつつ、さらに広く世界の読者からの反応を得た。

こうした執拗なまでのフィードバックの結果として、自らの眼で見取られたものの妥当性や普遍性が磨き上げられ、書物として世の中に出ていく。このプロセスをアメリカに移住してから確立し、やがて自覚的な執筆スタイルにまで発展させた。

 

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